ホワイト→レイン

 
 西村君のことが好きなの
 
 頭にこびりついて離れない言葉。数週間経ってもあのシーンは俺の目に焼き付いて色あせることがない。
 悶々と考えては溜息をつく。馬鹿みたいだと思いながらも思考は堂々巡りを繰り返す。
 美月さん。
 好きなのは確かだ。だが、その感情が色々な物に邪魔されて明確に形にすることが出来ない。俺には「好き」という感情が理解できてないのだ。どこから何処までを「好き」と区切り美月さんに対して応えて良いのか分からない。自分のことなのにこんなに自分事が分からないなんて。
 
 三月十三日。
 あまりに長いようであっという間に過ぎていった時間。もうすぐ卒業式だというのに俺の頭は美月さんでいっぱいだった。
「…………まあ」
 俺は辺りを見渡す。
「まずはこの状況を何とかしないといけないんだろうな」
 話せば長くなるが、単刀直入に言えば、
 
 俺は囚われているらしい。
 
 それは深夜、俺が悩みながらコンビニに寄った帰り、突然後ろから何者かが俺を襲い、何か変な薬品を嗅がされて、気を失ってしまった。そして気づいてみれば辺り一面、白い壁の変な施設に入れられていたという話しになる。
 これが約三十分前の話しだ。
「…………どこだよここ?」
 とりあえず今自分の状況を確認し終わり、今度は自分の装備品を確認する。ポケットをまさぐると携帯が出て来た。
「…………随分おざなりだな」
 俺の仕事に関係することならまず間違いなくこれは没収されてしかるべきだと思ったが。
 エージェントの仕事をしていて危険のない仕事など無い。例えデスクワークといえども何時いかなる時に何者かが襲ってくる可能性を持っていなければならない。俺の場合は少し特殊だが、それでも出かけるときはいくつの装備品を用意している。その内の一つがこの携帯だ。
 ただの携帯に見えるかもしれないが、これは超小型のPCの役割がある。エージェント用に改造された物に加えて俺が手を加えてほとんど別物になってしまったが、スパコン並とまでは言わないが、それでもそこら辺のPCの性能とは比較にならないほどの能力は持っている。
「どれどれ…………」
 携帯を操作してみるが、故障箇所は見当たらない。どうやら完璧に近い状態のようだ。
「…………時間がなかったのか……それとも何か意図があるのか」
 複雑な気分だが、兎に角今は脱出することを考えないといけない。時刻を見ればすでに
三月十四日になっている。夜の七時にメールで美月さんにあの橋の上にいるようにと送ってある。それまでには帰らないと。
「じゃなきゃタイムアップだ」
 回答拒否だけは避けなければならない。
 
「しかし高いなぁ」
 俺は自分の囚われている部屋をもう一度見渡す。六畳くらいの小さめの部屋だが高さはかなりあり、俺の身長の三倍くらいある。ドアは一つで俺の前に小さなドアノブが見えた。
鍵がかかっているかはまだ試していない。
「取り敢えず場所を確認してみるか」
 携帯を操作し、GPSで自分の現在の位置を検索する。しかし画面に出て来た文字は
 
 そのポイントは現在確認できません
としかでなかった。
「ふむ…………」
 どうやらこの施設はGPSを非確認化させる場所らしい。
「なら」
 今度はGPSが非確認の場所を検索する。膨大な数から現代の時刻から考え出せる移動距離の限界地点を追加して絞り、その上でこの携帯が逐一発生させていたデータをトレースする。
 作業はものの一分で結果を知らせてくれた。
「佐賀県!また変なところまで拉致られたなぁ」
 飛行機を使えば十分に間に合うが、それもここを出なければ始まらない。
 俺は頭を掻いて周りを見渡す。見た目通りなら監視のようなものもないが、カメラなんていくらでも隠せるので安心は出来ない。
「さて…………」
 この携帯があれば脱出だけなら問題ないだろう。もちろん力業で来られると俺には手も足も出ないが。
「…………」
 秒間で百の単語を打ち、この施設の状況を掴む。
「…………なんだここ?」
 施設自体は普通に稼働している。
 だが、人のいるような動きが全くない。電気の動きを見れば人の出入りは何となく分かるのだが、それが全く感じられないのだ。
「無人?まさか、時限爆弾なんてしかけてある訳じゃないだろうな…………」
 不吉な予感がするが、とにかく人がいないのは本当のようだ。機械相手ならどうにでもなる。
「ま、兎に角ここを出ないと」
 携帯を操作しここのロックを外そうと…………
 
 ドカン!
 
「!」
 いきなり扉が爆発した。俺は慌ててその場にしゃがみ込む。
「な・なんだ!!」
 俺は軽いパニックになりながらも兎に角状況を確認しようと顔を上げた。
「いや〜吹っ飛んだな〜」
 爆発の向こう側から誰かが入ってくる。
「!」
 体が緊張する。一体何が来たのか。
「ありゃ、そこにいるのは…………」
 入ってきたのは黒い戦闘服に身を包み、奇妙な外見をしたトランペットを逆さまにしたような自動小銃、確かFN-P90だったと思うが、それを持って一人の男が立っていた。
「君、確か西村君だよね?」
「え…………」
 俺の名前を知っている。長身の男だった。黒髪に黒い瞳。彫りはそれほど深くはなく、見た目には三十代前半、もしくは二十代と言っても差し支えはないだろう。見覚えはまったくなかった。
 どうしてと問う前に相手はまず名乗った。
「高井穐。覚えてないかな一度僕の店に来たでしょ」
「…………………………ああ!」
 そこでようやく思い出す。美月さんといった時計店の店主。着物姿でしかもサングラスをかけていたあの人物だ。着物に気を取られて過疎の風貌を明確に記憶することが出来ていなかったのだ。
「って!なんでここに!?」
 そして次の疑問がやってきた。
「まあ、そりゃこっちの台詞なんだけどね。まあいいやとりあえず歩きながら聞かせてよ」 自動小銃を肩に乗せて、高井さんは笑みをこぼした。
 
「はぁ、君があの有名な『ハッカー』だったとはねぇ。世間は広いようで狭いね」
 辺りを見渡しながらそう呟く高井さん。
 既に俺と高井さんはあの部屋から離れ、高井さんを先頭にして建物の中を移動している。「それはこっちの台詞ですよ。高井さんがまさかエージェントなんて」
「まあ、僕は世界ランクに何て名乗り出るような優秀な人間じゃないけどね」
 そう苦笑してみせる。
 高井穐。彼は侵入工作や破壊工作のエージェントとして世界中を飛び回っているそうだ。最近ではあの篁財閥の事件にも少なからず貢献していたらしい。
「まあ、あの事件はかの有名な『無茶苦茶小僧』がほとんど解決したようなものだから。あの事件はこの国やアメリカも動いていたから僕は言ってみればその下積みの雑用みたいなものさ」
 そう謙遜してその話は締めくくられた。
「じゃあ、高井さん。ここって一体何の施設か分かりますか?」
「いや、実は僕も詳しくは聞いていない」
「はい?」
「何しろ依頼が依頼でね。情報もほとんど無いような状態でここに来たんだ」
 先ほどから進む道には爆破された扉と同じ造りの扉がいくつも並んでいる。並んでいる扉の大きさから形が全て同一規格で実は先ほどから一歩も進んでいないのではないかという錯覚に陥りそうだ。
「そんな依頼あるんですか?」
「まあね。でも聞いた内容じゃGPSなんかの衛星の精密度を下げる兵器が開発されているらしい」
「それって兵器になるんですか?」
「十分なるよ。何しろ現在のほとんどのカーナビや電子地図はGPSの恩恵だ。こいつが狂わされると例えばGPSを便りにして動く軍隊なんかを迷走させることも出来る。他にもピンポイント爆撃なんかはこれによって致命的になるね。狙った隣の民家にでも爆弾が投下されたんじゃ世論が黙っちゃいない。他にも戦闘機、軍艦、潜水艦。GPSを利用する、もの全てが指針にならないんじゃどうにもならないわけさ」
「なるほど」
 そう考えると確かに恐ろしい兵器かもしれない。しかし
「そんな凄い兵器を開発している場所なのに何で人がいないんですか?」
 そう、先ほどから俺と高井さんは人に出くわした例しがない。同じ構造のこの施設はどうやら本当に無人のようだった。
「それは僕が聞きたいくらいだよ。なにしろ最初にあった人物が捉えられた君なんだから。本当に顔とか見なかったのかい?」
「見てたら今頃モンタージュを作ってますよ。それより高井さん。ちょっとこれを見て下さい」
 俺はそう言って携帯を差し出す。
「ん?この地図は?」
「この施設の見取り図です。どうやら奥の方に電力を食う何かがあるみたいです」
「なるほど」
 高井さんは携帯を俺に返す。
「それじゃ、そちらに行ってみるか」
 そう言って高井さんは自動小銃を構え直した。
「はい」
 俺は頷き、高井さんの後を追った。
 
(考えてみれば…………)
 歩きながら考える。
(俺は、こういう仕事をしてるんだよなぁ…………)
 一歩間違えれば死に至る、そして死を巻き込んでしまう職業。前線にいない俺は時折忘れてしまう事実。
 最初はただ刺激を求めていただけだった。普通の人よりプログラムに関しての知識が豊富だった俺はそれを足場にしてエージェントの世界に入った。周りの人間には驚かれるのだが、俺はある種のプログラムを見ればある程度それを数字の羅列に変換させて同じような物を作り出すことが出来る。その上で欠点もある程度見つけられるので改良も施せたのだ。そんな力があった俺にとってエージェントの仕事は正に天職だった。
 あらゆるプログラムを解析し、模倣し、改良し、破壊し続けた。死にかけたことも何度かあるし、俺のプログラムで何人もの人が死んだのも事実だろう。
(そんな世界にいるんだよな…………)
 そんな俺に人並みに誰かとつき合うなんて事、出来るのか?
 そしてもしその人を巻き込んでしまったら…………
(…………………………)
 自分の命ならば決して厭わない。何しろそれは自分のチップだ。どうきろうが自分で決められる。でもそれに他人のチップを加えることは出来ない。
(…………ダメだ)
 それだけはしちゃいけない。俺がエージェントである以上、それは絶対に出来ない。
(…………ああ)
 そして、同時に俺は美月さんの問いかけの答えを見つけていた。もし彼女を失ったらという想像。考えた瞬間に答えは決まっていた。
(悩むこと何て無かった…………)
 俺は、美月さんのことが好きでしょうがないのだ。だから…………
(もう、会っちゃいけないんだな…………)
 これが最前の応え。俺が美月さんにしてやれる、最高の応えなのだ。
 
「どうやらここみたいだね」
 鬱々と考えていると高井さんが止まる。
「着いたんですか?」
「ああ。この扉の奥らしい」
 高井さんの前には今まで同じ規格の扉とは違い、いかにも重厚そうで厳つい扉がある。
「手持ちの爆薬じゃ壊せそうにないなぁ…………これだと」
「じゃあ、俺がやりましょうか?」
「できるの?」
「はい。たぶん…………」
 携帯操作してみる。
「あった。アクセスコードがあります。これを…………」
 扉のロックを外す。
 すると、圧縮した空気が音を立てて出る音が聞こえると、扉は重苦しく開いていった。「おお〜。凄いね」
「大したことじゃありませんよ」
「いやいや立派だと思う」
 高井さんは俺のことを誉めつつ、こちらを向いた。
「高井さん…………」
 何か不吉な感じがした。胸の辺りが重苦しく、動悸が高まる。
「ご苦労さん。君の仕事はこれで終わりだね」
「まだですよ。あの扉の向こうの物を見ないと」
「いや、それは僕だけでやるよ」
 そう言って自動小銃の銃口を俺の方に向ける。
「高井さん?」
「すまんね。僕の依頼は実は二つあったんだ」
 本当にすまなそうにそう呟く高井さん。俺の鼓動がどんどん高まっていく。
「一つはこの施設の潜入工作。そしてもう一つは…………」
 自動小銃がぴたりと俺の額に止まる。
「ハッカーの殺害」
「どうして…………」
 その言葉は最後まで言うことが出来ない。
「依頼だからじゃ…………ダメかな?」
 カチリとトリガーが引かれた。
 
 
 しばらくしてブランチが正式に「ハッカー」の死亡を確認。極東で三指に入るプログラマーの死を世界中のエージェントは嘆いた。同時にそのハッカーの死因原因である存在にも注目が集められたが、最後までその人物の特定ができず、ハッカーの伝説と共に闇へと葬られる形となった。
 
 
「はい…………お願いします。…………いえ、それは別に…………はい。ありがとうございます」
 彼女は最後にそう告げて、携帯のOFFを押した。
「ふぅ…………」
 かのじょは溜息をついて時計を確認する。針はもうすぐ七を指そうとしている。
「遅いよ…………西村君…………」
 雨が降っている。
 美月は紅い傘を差して、西村と最後の別れた橋の上に立っていた。
 まだ春と言うには肌寒いこの季節の雨は冷たい。雨の水は傘が遮断してくれるが外気だけはどうにもならない。
「う〜風邪ひいちゃうよ…………」
 手の上から息を吹きかけささやかながらも暖かさを与える。
 周りを見るが、未だに人影はない。
「…………………………」
 もしかしたら来ないのかもしれない。それとも何か理由があって来ることが出来ないのかもしれない。様々な不安要素があった。
「………………」
 だが美月はその場に立って彼を待っていた。きっと彼は来るから。確信ではないがこれは予言だ。彼女がしかけた予言。
「………………」
 でも、彼が来る気配はない。
「…………………………」
 もし来なかったら…………
「一生恨んでやるんだから…………」
 強がって見せて、傘の柄を強く掴む。
 彼はまだ来ない。
 
 走って、走って、走って。一体どれだけ走ったか。もう一生分の距離は走ったかもしれない。だが兎に角目一杯の力を込めて、心臓が張り裂けようとも気にせず走る。死んでも辿り着く。今自分の中にはそれしかなかった。
 
 彼女はくるりと振り返る。
「…………ご苦労様。西村君」
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…………」
 ずぶ濡れの彼はそんなことも気にせずに、肩で息をしていた。とてもしゃべれる状況では無いらしく、しばらく美月は彼がしゃべれるようになるまで傘の半分を彼の上にそっと与えた。
 
「…………ごめん。少し遅れた…………」
 ようやく出せた声はそんな謝罪の声だった。しかし美月さんは首を横に振る。
「時間ピッタリだよ。西村君」
「…………そんなはずは…………」
 自分の携帯を見ると短針が七を飛び出している。だが、
「おかしいのはその携帯。だって、ほら」
 美月さんは自分の時計を外して俺に見せる。その時計はちょうど今七時を指していた。「…………嘘…………………………」
 信じられない。だって、俺のこの携帯はさっきまで確かにあっていたはずだ。それなのに…………
「それじゃあ、西村君。風邪ひく前に答えを聞かせてよ」
 それを聞き、直ぐにそんな疑問は些細なことであると思い至る。
「あ〜…………」
 ただ辿り着くことで精一杯だったので言葉なんて何一つ考えていなかった。とにかく俺は背をただして言わなければならないことを頭の中で繰り返しつつ、大きく深呼吸をする。「…………………………」  
「…………………………」
 見つめ合う二人。自分の心臓の音がうるさくてなかなか落ち着かない。
「え〜と…………」
 とにかく言わないと…………
「………………」  
「………………」
 なかなか口には出せなくて、でも美月さんは根気強く待ってくれている。
「…………俺、実は迷ってた」
 ようやく最初の言葉が言えた。
「最初は断ろうと思ってた。気持ちとは反対だけど、ちょっと人には言えないようなことしてて、そのせいで傷つけてしまうくらいならって…………」
 俺の言葉に美月さんは表情を変えはしなかった。
「でも、それでも。自分の気持ちには嘘がつけなかった…………」
 もう言葉は止まらない。
 
「俺も美月さんのことが好きなんだ」
 
「もしかしたら俺とつき合って迷惑がかかるかもしれない。命に関わることだってある。理不尽だと思うけど、それでも俺は君が好きで、どうしてもこの気持ちだけは抑えられなくて、だから…………」
 矢継ぎ早に告げる言葉は止まってしまうと言えなくなりそうで、俺は全部を伝えるために震える足も凍り付きそうな肌も無視して言葉を紡いだ。
「美月さんと一緒にいたい」
 その言葉が引き金で、美月さんはそっと俺の手を握る。美月さんの手は温かくてその温かさにドキドキしてしまう。
「私は、それで十分だよ…………」
 そう言って抱きしめてくれる。でも
「美月さん!濡れる、濡れる!」
「あ…………」
 直ぐに体を離す美月さんだが、ずぶ濡れだった俺に思いっきり触れてしまったので服が水を吸ってしまっている。
「あちゃ〜」
 そう言いつつも美月さんの顔に落胆はない。
「寒いね…………」
「そうだね」
「じゃあさ、西村君」
 美月さんは俺を覗き込むように見つめてくる。
「暖めてくれる?」
「へ?」
「ここを…………」
 そう言って美月さんは人差し指を唇に当てた。
「…………言ってて恥ずかしくない? 美月さん」
「ぜ〜んぜん」
 そうは言ったが、美月さんの頬が紅いのは寒さのせいじゃないはずだ。
「暖めてくれない?」
 …………上目遣いでそんな言い方は反則だと思う。
 俺は溜息をついて美月さんの肩を抱いた。
「あ…………」
 美月さんの声が漏れる。美月さんの肩は少し震えていた。
「…………」
 潤んだ瞳はやがてゆっくりと閉じられ、俺は美月さんに近づく。    
「……好きだよ…………西村君」
 
 そして、俺達の距離はゼロになった。
 
ホワイト→レイン 終わり
ホワイト→ウェスト
レイン→ムーン