糸
「まあ、こんなんでも無いよりましだろ。それにお前、何だかんだで妖の墓とか作ってたしな。お前の墓だって無くちゃ可哀想だろ。俺はどうでも良いと思ったんだけど、葉月さんが五月蠅くてさ。まあ、せっかくだからここで眠っててくれよ。俺も、もう少ししたら逝くだろうから、そん時まで地獄の鬼とでも仲良くな」
ツグナの前に小さな墓がある。申し訳ない程度に石が積み上げられている小さな墓。たぶんツグナが離れたらそれが墓であるか分からぬものになってしまうだろう。
「あの短刀は餞別代わりにもらってくぜ。悔しかったら取り返しに来いよ。相手になってやるから」
疾風が死んだ場所。この墓はその上に建てられた。土の下には彼の遺体はない。何しろ灰となって風に流されてしまったのだ。だから、ここには彼が着ていた服や壊れた鉈などが埋められている。
「じゃあな。お前との旅、今思い返せば結構楽しかったぜ」
そして、ツグナは疾風の墓を後にする。一度も振り返らず、泣きそうな面持ちを隠すように足早に。
「ツグナさん!」
森を抜けて村に戻ると直ぐに葉月に出くわした。
「ん?何すか、葉月さん?」
不思議そうな顔のツグナは息を切らせている葉月の顔を覗く。
「いえ、シロさん見かけませんでしたか?術施行からまだ数日しか経っていないので体も不安定なんですが…………」
「いや、俺は見てないぜ。またあの草原に行ってるんじゃないのか」
「やっぱりそうですかね」
「それに葉月さん。あいつの名前変わったんだろ」
「ええ、そうなんですが、やはり私は彼女のことはシロさんと呼びたいんです」
一瞬だけ、葉月の表情が変わる。その瞳に去来するものは何なのか。ツグナにはあまりにも複雑な感情のために読みとれない。
「でも、ハナのこと相変わらず思い出せないんだろ?」
あの事件以来、シロは双子であるハナのことを全く思い出せないでいた。何度も葉月やツグナは彼女のことについて話したのだが、それでもシロは何一つ思い出すことは出来なかった。
「はい。全く。でも、心の奥に微かでも残っているんだと思います。それでなければあんな名前にしないでしょうし」
「まあ、そうだろうな」
彼女が自身に「縛」を行うに際して、名前を変えて「縛」を完成させた。それは自分の次の世代を呪いの代償とする「縛」。最初葉月は反対したが、結局シロの強い要望で葉月が折れる結果となった。
「自分の子孫を残すために生まれる子供は必ず双子にか…………相当の覚悟だったろうな」
「それとも償いか…………何にしても私はこれから彼女を支えていきたいと思います」
強い決意を感じる。彼は強い人間なのだろう。疾風とは違い、そして自分とも違う。ツグナは笑った。たぶん大丈夫だろう。そんな漠然としてはいるが、核心めいたものがここにはある。
「さて、それじゃあ俺は行くか…………」
「え?シロさんに別れは言わないんですか?」
「ん……下手に別れを言って体中調べられたらたまったもんじゃないからな」
半分冗談半分本気でそう呟いて、ツグナは手を差し出す。
「たぶん、もう会えないと思うけど…………」
「…………はい」
葉月も手を出し、固くツグナの手を握った。
「今度この村にやってきたら葉月の姓を尋ねて下さい。歓迎します」
「何なら、あいつと一緒になってろよ」
手を離す。
「じゃあな。白花によろしく!」
後ろを振り向く。葉月はその後ろ姿に手を振った。
シロ、そして今は白花はあの草原にいた。
「………………」
村を見ている。
風は穏やかで、ここで彼女が死んだなど誰が思うだろうか。
「………………」
草の音が子守歌のように眠気を誘う。
「………………」
『縛を張ったのですね…………』
いつからそこにいたのだろうか。彼女が白花の後ろに背を向けて立っている。
「…………ええ」
別段驚きもせずに白花は答えた。
『けして叶わぬと知りながらそれでも求めるのですか?』
「…………なら、あなたも同じでしょ…………」
『………………』
彼女の表情は変わらない。二人の視線は決して交わらず、白花は一度も彼女を見るために振り返らず、彼女は決して白花を見るために振り返らない。
『…………この場所に来るには、この場にいる存在の名を知らなければなりません』
突然、彼女は全く別の話を始めた。
『あなたはここで死んだ彼女を知っていたからこの場所に来ることが出来た。そしてその結果、この場所には多くの人が来る可能性がある。私はそれを好ましく思いません。ですから結界の限定を変えます』
「…………」
白花の視線が上に上がる。目の前には蝶が飛んでいた。
『私の名を知るものと、そして、あなたの姓を継ぐもの以外の人間はこの場所に入ることは出来ない』
その言葉と共に結界は変化する。そして、それは白花にとっては意外なものだった。
「…………何故私を?」
『これから、同じく叶わぬ願いを叶えるための同士としての選別です』
「…………そう…………」
白花は表情をゆるめる。穏やかなその笑みは午後の陽気のように優しげだ。
『あなたとはもう会うことはないでしょう。…………それでは』
そして、彼女は消えた。
「…………叶わぬ願いか…………」
立ち上がる。背伸びをして、村の景色に背を向けた。
「それでも…………いつかきっと…………私の子孫がこの呪いを払うことを…………私は信じていたい…………」
それは彼女へ向けての言葉だったのか。ただ、風だけがその言葉を聞いていた。
島を抜けて、船を渡り、本土へと戻る。
「うぇ〜…………」
船上で出すものは全て出してしまったので、吐くことはないが目の回るような気持ち悪さだけはどうにもならない。
「船なんて人間の乗り物じゃねえよ…………」
悪態をつきながら、ツグナはようやく立ち上がる。そして、そこには一人の少女が立っていた。
「よう」
少女は手を挙げる。
「…………よう」
答えるようにツグナは手を挙げた。
そこにいたのはツバメだった。
「体はもう慣れたか?」
「うん、最初は痛くてどうしようもなかったけど、今は何とも」
二人は並んで歩く。
「で、どうよ?人間じゃない体は?」
「どうって言われても。あんまり変わらない。あ、でも自分が思っている以上に力が出ちゃうって感じかな。まだ頭が体に着いてこないって感じ」
「……そうか、でもそのうち慣れるだろ。疾風だって最初は苦労したって話してたし」
「そうなんだ。吸血鬼って結構難しいね」
瀕死のツバメを救う方法。それは疾風の「怨念」をツバメに移し替えるというものだった。もちろん全てを移し替えることは不可能だが、これにより、普通の人間を吸血鬼化することが出来る。
この方法によって、ほぼ死体であったツバメは吸血鬼として死んでいない体になったのだ。
「これからどうするんだ?」
吸血鬼となったツバメは村にいることは出来ない。葉月にも白花にも彼女が生きていることをツグナは語らなかった。何しろあの二人は吸血鬼の天敵たるものなのだ。もちろんあの二人ならツバメを匿ってくれるだろう。しかし、化物が同じ場所に留まり続けることは何かしらの障害をもたらす。だから、彼女は死んだものとしたのだ。それに彼女が戻っても家族はいない。鴉の作り出した黒い影によって殺されていたのだ。そのことは既にツグナがツバメに話しており、その日一日中彼女は泣き明かした。だが、悲しんでばかりはいられなかった。それが彼女が選んだ道なのだから。
「疾風みたいに旅をしていきたいと思ってる」
「旅を?」
「うん。私、疾風に救ってもらったけど、そのせいで疾風は死んじゃって、だから何か恩返しと償いをしたいと思って。だから今は疾風と同じ事をしてみようかなって。疾風と同じ事をしていれば疾風がやりたかったことも見つかるかもしれないから」
「…………そうか」
ツグナは彼女を止める気はなかった。そして、止める理由もないことも知っている。
「それじゃあ、俺と一緒に行くか?」
どうせあてもないしと、付け加える。だが、ツバメは首を横に振った。
「うれしいけど、私、一人でやってみたいから…………」
決意を込めてそう語るツバメ。「そうか」とツグナは呟く。ちょうどそこで二股の道にさしかかった。
「ツグナは、どっちに行く?」
「俺か?俺は西だな」
「じゃあ、私は東」
二人は道を分かつ。
「それじゃあね。ツグナ」
「ああ。あ、そうだ、ツバメ」
「ん」
ツグナは腰から一本の短刀を取り出す。
「これやるよ」
短刀をツバメに放り投げた。それを両手で取るとまじまじと見つめる。
「…………これは?」
「疾風の短刀。俺が持ってるより、お前が持ってた方が良さそうだから」
ツバメは短刀を鞘から取り出す。銀色の刀身がまるで新しい使い手を歓迎するかのように輝いていた。
「綺麗…………」
「力を持つものを殺すことの出来る力を持ってる。うまく使えよ」
「うん」
短刀を鞘に収め、ツバメはツグナと同じように腰に差す。
「それじゃあ、縁があったらな」
「うん。絶対にまた」
「ハハ、たぶんその時はお前のこと何て忘れてるだろうけどな」
「だったら、引っぱたいてでも思い出させてあげるよ」
「そうだな。まあ、お手柔らかに」
ツグナは手を挙げる。
「じゃあな」
「うん!」
ツバメは思いっきり手を振って、それに答える。
二人はそれぞれの道を歩き出した。いつか再開することを約束して。
そして、糸は遠く離れ、そして細くなっていく。だが、けっして切れたわけではない。いつかその糸はたぐり寄せられ、彼らを再び出会わせる。
六百年後…………
「来たぞ…………」
連れの言葉と共に彼女は視線を外へと向けた。喫茶店でコーヒーを飲みつつ彼を確認する。
「…………全然変わってないわね…………」
そう呟く彼女に連れは顔を彼女に向ける。
「何のことだ?」
「…………昔の話しよ」
「あいつに会っているのか?」
「女性の過去は検索しないものよ」
そう言って立ち上がる。
「何処に行く気だ?」
「会いに行ってくるわ」
「は?」
連れが何を言っているのか理解出来ないといった顔つきをした。たぶんサッカーボールを持って野球をしてくるなんて言ったらこんな顔をするのだろう。
「何を言ってるんだ君は。あれは監視対象だぞ。何故対象に会いに行く必要がある」
「あるわよ。私にはね」
答えると、女性ものにしては大きい手提げバックを持ち、席を離れた。
「おい!本気か?それに勘定!」
何処吹く風といった感じで彼女は喫茶店を後にした。
六百年ぶりの再開。何とも気の長い話しだが、まさか実現するとは思わなかった。彼は自分のことを覚えているだろうか。それとも忘れているだろうか。予想は後者、期待は前者といったところだろうか。
彼に近づく事に心が躍り出す。緊張と期待と不安が入り乱れた感情を携えながら、彼女は声を上げた。
「あなたが…………ツグナね」
前にいた青年は立ち止まる。緊張はピークに達し、鼓動が騒がしい。そして、彼は振り返った。
自分はあれから少しばかり成長していたが…………彼は六百年前とまるで変わっていなかった。もちろん服装は現代のものと替わっているが、顔や髪型、身長や肉付きまで自分が記憶していたものと寸分変わらず彼は自分の前に立っていた。
「…………………………」
彼は自分を見て目を細める。そして…………
「…………どなた…………でしたっけ?」
ああ、と、彼女は心の中で落胆した。もちろん彼が自分を覚えている可能性は万どころか億に値するほどの確率だった。だが、それでもどこかで期待していた。「ツバメじゃないか」と答えて欲しいと望んでいた。ただ、それも都合のいい話でしかない。だから、彼女はすぐに気持ちを切り替える。
彼とは新しく関係を築くのだ。だが、その前に一つだけやりたかったことをしてから新しい関係を始めよう。
見知らぬ彼女は俺に近づくと、にっこりと微笑んだ。あ、美人だなと思った瞬間、
パンッ!
いきなり、恐ろしい衝撃が俺の頬を襲った。しばらくして、平手打ちを喰らった事に気づく。
痛い。マジで痛い。つーか何で?俺、何か悪いことしたか?頭が混乱する。理不尽な平手打ちを喰らったことを怒る前に、何故平手打ちをされたのか分からず俺は呆然とする。
赤く腫れた頬を押さえ、彼女に再び視線を戻す。彼女は先ほどの笑みなど無かったかのように無表情で俺の前に立ち
「組織から派遣されてきた監視役、風鳥よ。以後お見知りおきを」
そう言った。
糸が集うまで残り十年。今はまだ、この物語は闇久の中に眠っている…………
「闇久の糸」完
We have thread in infinite time, and meet and separate.
We wish that thread does not cut.
However, it can never fulfill the wish.