闇久終焉・3


 「なぁ、死ってなんだろうな?」
 戯れに聞いたその質問に自分はどう答えただろうか。
「死ぬって事は俺は『離脱』だと思ってるんだ」
 質問の答えを返すと彼は自分の考えを述べ始めた。
「結局の所、場所が変わるだけなんだろ。俺達は今、生の国に生きていて、死んだら死の国で死を体感する。生と死は表裏一体。そんなところなのさ…………」
 だが、と付け加える。
「じゃあ、どうして俺やお前以外の大多数の人間は生にしがみついているんだろうな。術師なら特に。魂という存在を知りながらも生に固執し続けている。それには理由があるんだろうな…………」
 そんなつまらぬ会話だった。 
 
 人は生を受けた瞬間から、死に向かい始める。その速度は人によって違い、早いものがいれば遅いものもいる。ならばその違いは何なのかと誰かが聞く。あるものはこう答えた。早いものはその分己の感じる時間が長いのだ。まるで矢のように飛んでいき生きる使命を果たすものもいれば、長い時を生きても死ぬその瞬間まで使命を果たせないものもいる。だから、死を悲しむばかりではいけない。彼らはその早い死の中でも私達以上に時を過ごしてきたのだからと。
 では?
 俺は一体何なのだろう?
 
 長い時を生きてきた。人間ではとうてい耐えられぬような時を。だが、俺は存在する。俺は生きている。長い長い時を超えて。全てを忘れて、自分すらも忘れても俺は生きている。親しい人を失いながらも、それすら忘れて生きている。
 誰でもいいから教えて欲しい。
 俺は何なのだ?
 俺は何すればいい?
 俺は…………生きているのか?
 
「…………疾風…………」
 黒い何かを全て倒し、森に入った青年がようやく見つけた疾風の姿は無惨なものだった。
「…………よう、名無し……」
 手を挙げようとするが、右手が無くなっている疾風は挙げられる手がない。だが、その顔に悲痛の色はなかった。
「…………」
 青年は無言で、疾風の元に近寄り、膝を折った。
「死ぬのか?」
「…………ああ」
 見るだけで分かる。人ならば五度は死に瀕する傷を彼は負っている。
「俺を殺してくれるんじゃないのか?」
「あれは…………嘘だ」
 疾風は笑っていた。何故笑っていられるのか、青年には分からない。だが、疾風が何かに吹っ切れていることだけは感じていた。
 たぶん、彼は見つけたのだ。自分が何を為すべきかを。
「また、俺より先に死ぬのか…………」
「情けない声を出すなよ…………死ぬ奴を前にして…………いや、もうこの体は死んでるんだよな」
 そこで疾風は咳き込む。黒い何かを吐きながら、息を整える。
「ああ、そうか、そういうことか…………」
 急に疾風は何かを思いつき、視線を青年に向けた。
「名無し…………顔近づけろ…………」
「…………」
 言われたとおり、青年は疾風の方へと顔を近づける。
「俺は…………お前を殺せない…………だから、お前を生かしてやる…………」
「何を言って…………」
「いいから聞け!…………やっと気づいたんだよ。俺もお前も結局死ぬ目標を目的にして生きてるだけだったんだ。死ぬのが怖くないなんて大嘘ついて、俺が一番死を怖がっていた。だけどな。そんな生き方じゃ死んでるのと同じなんだ。俺もお前も死んでいないんじゃ無くて、生きていなかった…………」
 顔が近づく。無理に体勢を変え、額が当たるくらいに二人は近づく。
「お前に……生きる目的をやるよ。だから…………今から…………お前は…………」
 微かなの言葉が漏れて、体の力が抜ける。もう意識は保てない。
「…………疾風………………」
 抱きかかえる。だが、それもままならぬまま、体は灰となっていく。
「疾風…………」
 笑っていた。その表情を目に焼き付かせ、疾風の体は一片も残らず消えた。両手に残るわずかな砂のようなものも風に乗せられ散っていく。後に残ったのは彼の衣服と彼が携帯していたものだけ…………
 疾風は死んだ。 
「………………」
 青年はほんの数秒まで疾風のいた場所を見続けていた。
 
「やっと死んだか。まったく意地汚い野郎だな」
 その一部始終を鴉は見ていた。
「力を失って俺に挑むなんて馬鹿じゃないのか。それとも脳味噌腐ってたのかもな」
「…………」
「はぁ、せっかく楽しい殺し合いができると思ったのに興ざめだな。あんなヤツが同じ吸血だったと思うと虫酸が走る。息をしているだけでも無駄だった」
「………………」
「しょうがない。これから村に行って村人一人一人を殺していくか。まったく、結局虫けら野郎共を踏みつぶすだけか。つまらない」
「……………………」
「なんだ、お前?いつまで地面見てるんだよ?うざいんだよ。さっさと消えろよ」
 青年に近づき、蹴りを入れる。そのつもりだった。
「!」
 青年が消える。いや、これは青年の力だ。鴉もすぐにそれに気づき、後ろを振り返った。そこには俯いている青年が、力無く立っている。
「何だよお前。もしかして俺とやろうってのか?あんな腰抜けの仇討ちなんて考えてるんじゃないだろうな?ヒャハッハッハッハ!おいおい。俺を殺せるとでも思ってるのか?少しばかり素早いからっテッ!」
 言葉は続かない。目にも止まらないという言葉そのままに、青年がいきなり目の前に現れると、鴉を殴りつけたのだ。あまりにも突然なことだったので、鴉は勢いで吹き飛ばされる。
 
 …………五月蠅いんだよ。お前………………
 青年が顔を上げた。
「さっきから聞いてれば、いちいち癪に障るんだよ。てめぇーの言い方は!ああ!お前が息してるだけでも腹が立つ!」
 それは、青年であって青年ではなかった。言葉一つ一つに感情が乗せられる。今まで人形のような彼にはなかったものが、彼にはあった。
「疾風も疾風だぜ。こんな奴、根性で殺せよ!前から思ってたんだ。あいつ、あきらめが早すぎる!俺に遺言残すぐらいならあの変態野郎を殺せってんだ!!」
 まるで別人のような青年は、いらだちながら頭を掻く。
「てめえ…………」
 起きあがろうとする鴉に蹴りを入れる。
「がはっ!」
「動くんじゃねえよ!蛆虫野郎!!」
 ぴしゃりと言い放ち、腰の刃を抜く。
「ったく。しょうがねえな。お前の望み通り生きてやるよ。疾風」
 視線を鴉に向ける。
「立てよ糞野郎。殺し合いをやりたいなら俺がつき合ってやる」
 鴉は両手をつき、まるで野獣のように顔だけを青年に向けた。顔には般若のように目をつり上げた怒りの表情が浮かんでいる。
「ゆるさねえ。テメエはゆるさねぇ!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!」
 呪詛のように言葉を振りまき、そのまま跳躍する鴉。
「!?」
 青年の身長をゆうに超えるほどの跳躍を見せると森の木々へと吸い込まれていった。
「殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!」
 森の木々全てがそう語る。青年は辺りを見渡し、鴉の攻撃に備えた。
「殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!」
「!」
 来る。
 直後に鴉が落下してくる。青年の後方。黒い何かを宿し、あの速度なら簡単に青年を貫けるだろう。だが、青年はその攻撃を鼻で笑っていた。
 
「神経連結」
  
 その言葉が鍵となり、世界が緩慢となる。
 己の神経を通常時の数倍の稼働率で展開し、神経を統一化して、反射で思考を組み立てられる能力。
 しかし、神経だけが先走り、運動はそれについていけない。このままで振り向けばそれと同時に鴉が胸を貫くだろう。だから、
「潜在覚醒」
 肉体を限界地点まで強制的に酷使する能力。この緩慢たる世界でただ一人、普通に動ける存在になる。
 
「ブッ!」
 見えぬ速度で反転し、見えぬ攻撃が鴉に突き刺さる。その衝撃で再び吹き飛ばされた。
「吸血鬼だって所詮は人間だろうが!俺に勝とうなんざ四百年早ぇ!」
 拳を払い、鴉に近づく。鴉は既に立ち上がっていた。
「…………テメエ…………何ものだ?」
 急に冷静になった鴉は、口を拭う。その目は凍てつくほど冷めていた。狂気の中にも彼は冷静な部分を持っている。そこが彼と普通の狂人との違いだった。ただの狂人ならばこれほど長くは生きていられない。爆発的な狂気を持ちながら、それを行する強靱な精神力を宿す矛盾した存在。それが鴉なのだ。
「俺か。俺は…………」
 
『…………だ。お前より……その永遠を継ぐものは無い…………そしてその力を無にするもの。だからお前の名は…………』
 
 疾風の言葉を思い出す。それは、生きるための名。疾風が最後に残した新しい名前。
青年は名乗りを上げる。
「……継無…………俺の名はツグナだ」
 青年、ツグナは刃を逆手に持つ。
「ツグナか…………じゃあ、ツグナ。テメエを殺す!」
 鴉の体から突如黒の線が無数に延びる。
「…………」
 しかし、ツグナは動じない。ただ一振り、刃を走らせる。
「!」
 線は刃が触れた瞬間に消滅した。
「幕を引くぜ!」
 再び神経連結と潜在覚醒を発動。足下にあった疾風の鉈を足で蹴り上げて左手に持つと鴉に向かう。だが、鴉の動きも早い。この世界で普通程度に動くことが出来ている。音無き世界で鴉の叫びが聞こえた気がした。
 黒い闇が鴉を覆う。しかしツグナは怯まない。黒い線が綻び糸となりツグナを襲う。数が多く、刃一つでは防ぎきれないことは明白だ。明白ならば、防ぐ必要など無い。ツグナは防御など考えず前へ進む。黒い糸が体中に突き刺さる。だが、止まらない。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
 鴉の目の前に到達した。
「馬鹿な!!!?」
 黒い線が収束し、剣となる。その剣は回避不能のままツグナの体に風穴を開ける。
「ガハッ!!」
 血を吐く。肺に刃が通ったのだろう。だが、それすらもツグナの障害にはならなかった。
「喰らえ!」
 右の刃が一閃する。同時に、黒い闇が霧散する。
「何でテメエは動けるんだよ!!」
 困惑する鴉。無数の糸が体中に突き刺さり、黒い剣が彼の肺に到達しているにもかかわらず、ツグナは向かってきた。こんな戦い方などありはしない。己がいかなる攻撃を受けても死なない自信がない限り、こんな無謀な特攻など誰がするというのだ。これはツグナにしかできない戦い方だ。自身を不死身であると知っているからこそ出来る戦い方だった。
「地獄で疾風によろしくな!!」
 左手の鉈を力一杯叩きつける。右肩に叩きつけられた鉈は鴉の肩を半分ほど切って、その存在を終わらせた。元々疾風と鴉の戦いでがたが来ていたのだろう。柄の部分から砕け散る。
「ぎぎゃがかぁいはあぁひああがあういらいうあおがかうおごああおえいるおあ!!!」
 言葉では言い表せぬ叫びをあげる鴉。それは未だできていない言語のような言葉だった。
「ぐっ!」
 渾身の一撃が鉈の破損で不発に終わり、神経連結と潜在覚醒が解ける。無茶な突進で体が思うように動かない。それに加え、肺がやられているので息も出来ないのだ。だが、膝はつかない。鴉よりも先に倒れるのは己の自尊心が許せなかった。
「ハァハァ!ハァ!」
 鴉の右肩は体にぶら下がっている感じで、ブラブラと揺れている。顔は焦燥に駆られているが、目だけは赤く充血して不気味に光っている。
「殺してやる!ころしてやる!コロシテヤル!殺し手ヤル!殺刺テやる!殺シて犯る!殺して矢ル!コロしてヤル!殺して夜留!殺死テヤル!殺志手ヤる!殺四テやる!殺してやる!」
 叫びながらも膝をつく。力が入らない。
「狂死させて!圧死させて!窒死させて!焼死させて!凍死させて!斬死させて!轢死させて!毒死させて!溺死させ!水死させて!獄死させて!衰死させて!怪死させて!壊死させて!横死させて!餓死させて!墜死させて!爆死させて!斃死させて!悶死させてやる!」
 しかし叫ぶ。
「がっ!」
 ツグナは血を吐く。回復にはさほど時間はかからないだろうが、しかしここでのその時間は致命的だ。吸血鬼の回復は通常の人間よりも時間がかかる事は分かる。だが、彼の狂人がその痛みで退くとは思えなかった。
「ったく!最近まで死人やってたからな。体が着いてこねえ…………」
「コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!」
 叫びながら立ち上がる。
「コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!」
 奴を殺す以外に考えない。   
「コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!」   
 これは殺し合いではない。    
「コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!コロシテヤル!」  
 これは鏖合いだ。
 
 闇が、鴉を包む。濃厚な闇は鴉をも不可視にさせて、蠢き、形容のない闇そのものへと変化した。
「次は、引きこもりかよ。つくづく救えねえ…………」
 黒い糸で攻撃された箇所は問題ない。肺に到達した傷はまだそのままだが、もう待ったはないだろう。
「けりを付けるようぜ。陰茎野郎」
 その言葉に呼応して、闇は動いた。
 闇から放たれたのは闇の飛礫。それが高速で何十もツグナに飛来する。
「チッ!えげつねえ」
 舌打ちしながらも潜在覚醒を発動させる。闇自身がこちらに来ればツグナには刃がある。ツグナの刃は疾風の短刀と同じ効果を持っているが、決定的な違いがある。それは「作用範囲」だ。疾風の短刀は斬った部位から少しづつ浸食することで発動するいわば「感染型」。対してツグナの刃は斬った瞬間にその対象に作用する「個体型」に属している。感染型の弱点は目標がこの効果にかかるまで時間がかかるということだ。だが、物理的に繋がっていれば目標以外の力あるものも殺すことが出来る。そして個体型は感染型の長所と短所が逆転する。
 つまり、瞬殺するには個体型は確かに便利だが、その隙がなければ意味をなさないということだ。
 そのためこの飛礫の連射の中では鴉に近づくことすら出来ない。
「くっ!とっ!はっ!」
 体に酸素が回らない。頭が逆さまになったみたいに血が上っていく。当然だ。肺が半分機能してないのだ。これだけの連続運動で酸欠の状態にならない方がおかしい。
 闇の飛礫はツグナの肩にかすり、腹をえぐり、足に刺さっていく。
「ぐっ!」
 真横に飛ぶが着地に失敗し、その場に転ぶ。
『ヒャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!』
 嗤っている。無様に逃げまどうツグナを見て喜んでいるのだろう。飛礫は来ない。立ち上がるまで待っている。
 ツグナはゆっくり立ち上がる。満身創痍とはこの事をいうのだろう。体はボロボロ、普通の人なら、いや、吸血鬼すらも生きていられるかどうか。だが、ツグナは立ち上がる。不敵な笑みを浮かべて。
『………………』
 笑い声が止まった。闇だけでも分かる。彼は不機嫌な顔をしているのだ。これほどまでに傷を与えているのに彼は立ち上がり、そして笑っている。その体にもだが、何故折れぬのか、ここまでして何故立ってくるのか、何故立ち向かってくるのか鴉には理解出来ない。
「…………前を見ろ…………的はそこにいる…………臆す理由は何処にもない…………俺は不死なのだから…………退く理由は何処にもない…………敵は…………」
 呪文のように呟き、刃を持つ手を振りかぶる。
「一匹のみ!」
 投擲!
 刃は空気の壁をものともせず鴉へと突き進む。
『!?』
 闇の飛礫はこの刃を止める手段にならない。最後にして最大の妙手。これを弾かれればツグナに手はない。逆にこれを防げねば鴉は死ぬ。
「!」
 体に届く、その瞬間、鴉の黒い手が何かを持ってきた。
 葉音がうるさい。
『……………』
 鴉が持ってきたもの。それはこの森の「木」だった。刃はその木に当たり、刃は突き刺さることもなく、その場に落ちる。刃は「力」あるものを殺すが、それ以外には刃ですらない。
 ツグナの攻撃が終わった。
『ハハ…………ハハ……ハハハハハ…………ハハハハハハ………………ヒャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!』
 勝利を確信する。これ以上いかなる攻撃も鴉には届かない。あの刃さえなければ。この闇に唯一対抗する最強の武器を失ったのだ。もう終わり。一体どんな絶望的な顔をしているのか。木が邪魔でツグナの顔が見えない。木を投げ捨てる。ツグナは………………いなかった…………。
『…………あ』
 何かが著しく間違っている。大きな、とても大きな勘違いをしている。そう…………ツグナはあれが最後の攻撃だったのか。
 ツグナの先ほど立っていた場所、そこには衣服が置いてあった。
『あ…………』
 あれは、疾風の…………
「喰らえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
 上空からの声。とっさに上を向くが、もはや間に合わない。ツグナの手には疾風の短刀が握られていた。
『!!』
 一閃。風すらも断ち切り、鴉の闇は消滅した。
 
「まだ生きてるか…………」
 ツグナは鴉の目の前にやってくる。鴉はうつぶせに倒れ、その顔を見ることは出来ないが、まだ息をしていることは分かる。
「全く、同じ化物とはいえ油虫みてぇなヤローだな。何で、生きてられるんだよ」
 鼓動が早く息苦しい。しかし、決着を遅らせるわけにはいかない。早い呼吸のまま息も整えず、ツグナは短刀を逆手に持つ。
「終わりだ…………」
 短刀を鴉に突き立てる。
 
 これは何の冗談だ?おかしい、こんなはずはない。この構図は本来逆のはずだ。何故自分が地に這い蹲り、相手が自分を見下している。こんなことはあってはならない。こんなことはあってはならない。こんなことはあってはならない。こんなことはあってはならない。こんなことはあってはならない。こんなことはあってはならない。こんなことはあってはならない。こんなことはあってはならない。こんなことはあってはならない。こんなことはあってはならない。こんなことはあってはならない。こんなことはあってはならない。こんなことはあってはならない。こんなことはあってはならない。こんなことはあってはならない。こんなことこんなことはあってはならない。こんなことはあってはならない。こんなことはあってはならない。はあってはならない。こんなことはあってはならない。こんなことはあってはならない。こんなことはあってはならない。こんなことはあってはならない。こんなことはあってはならない。こんなことはあってはならない。こんなことはあってはならない。こんなことはあってはならない。こんなことはあってはならない。こんなことはあってはならない。こんなことはあってはならない。こんなことはあってはならない。こんなことはあってはならない。こんなことはあってはならない!!!!
 
「キシャァァァァァ!!」
「!?」
 人の声ではない。だが、それは鴉から発せられた。思わずツグナは短刀を引っ込め、一歩後ろに下がる。
「ジャウィウヤバギャルデシャヴァグデバビダデアエヲンガオプデザガゴギダズマダ!!」
 言葉ではないその叫びと共に鴉は勢いよく立ち上がり、垂れ下がっているだけでしかない右手を左手で引きちぎった。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
 苦痛で叫ぶ。ツグナはその凶行をただ見ているしかできなかった。
「痛いぜぇツグナ〜。痛くて俺、小便ちびっちまったぜ。許さねぇ。痛くておかしくなりそうだ。お前のせいだぜ。こんなに痛いのはお前のせいだ。殺して、殺して、コロシテヤルよ。必ず!!!」
右手を叩きつけると、ベチャリと音がする。叩きつけられた右手は黒い闇となり、鴉を包んだ。
「待ってろよ!ツグナ!必ず!必ず!必ず殺してやる!」
 闇に飲み込まれ叫ぶ鴉。だが、その闇もすぐに消える。後に残されるのはツグナのみ。
「…………………………」
 辺りを見渡して、鴉がいないことを確認し、その場に倒れる。
「…………やったぜ、疾風…………」
 右手に持っている短刀を掲げる。
「…………………………」
 そして、再び大の字になった。
「…………馬鹿野郎…………」
 涙が一筋こぼれた………………
 
 葉月に支えられて、シロは草原へとやって来ていた。まるで何かに誘われるかのように迷い無く、結界すら越えて、シロはこの場所に立っていた。
「………………」
「………………」 
 風が吹いた。
 何一つ変わっていない。草も大地も景色も風も、夜であることを抜かせばこの場所は何も変わっていなかった。ただ、ひとつ、葉月とシロの目の前に一人の少女が倒れていることを除けば。
「………………」
「………………」
 二人は無言でその少女を見る。二人は少女に駈け寄りもしなければ、騒ぎもしない。少女はまるで眠っているかのように安らかに目を閉じている。だが、彼女は目覚めない。明日も明後日も一ヶ月も一年も彼女はもう起きることはない。
 彼女は死んでいた。
「………………」
 葉月には全く見覚えのない少女だった。何故この娘がここで死んでいるのかまったく分からない。
「…………葉月さん………………」
 肩を貸しているシロが声をかけてくる。
「…………何ですか?」
「この娘…………誰なんですか?」
 葉月は、その声を聞いて歯を食いしばる。気を緩めてしまったら、自分も泣いてしまいそうだったからだ。
「…………何で私…………泣いているんですか?」
 シロは泣いていた。止められない。ただ、ただ、涙が流れる。哀しくて、哀しくて、まるで自分の半身を失ってしまったほどの喪失感だけが心を支配する。
「私…………この娘のこと何て何も知らないのに…………それなのに!」
 何も言わず葉月はシロを抱きしめた。
「うわああああああああああああああああああああああああああああん!!」
 叫び、そして泣く。
 葉月は強く、強く抱きしめる。
 草原に再び、風が吹く…………
 少女は死んでいた。
 シロは泣いた。
 
 そして、この物語は終わりを迎えた…………
 
〜十五章「闇久終焉・3」終〜
 
 「闇久終焉」AllOver

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