闇久終焉・1


   自分は死に場所を探している。意地汚く命乞いをしながら惨めに死ねる場所を。
 それが吸血鬼となってしまった罪の謝罪。そうでなければならない。彼はそう思い続けた。吸血鬼でいるだけでそれは罪だ。生まれた瞬間誰からも祝福されず、誕生を憎まれ、成長を忌避された原罪たるもの。 
 だから、死ななければならない。
 そう、四百年間思い続けてきた。
 しかし、自分は死んでいない。四百年間、死んではいなかった…………
 
「…………」
 天井を見上げる。そこは最近ではなじみの深いツバメの家の天井だった。朝に帰った後、吸血鬼である疾風は直ぐに日を嫌って家に閉じこもらせてもらったのだ。吸血鬼だからといって日に触れれば直ぐに死ぬということではない。吸血鬼は日中活動可能だが、それでも夜に比べると全て能力が軒並み下がる。「怨念」を動力にしている吸血鬼は怨念の嫌う場所は同じように支障を来す。日の光はその一つだ。他にも水や銀などの貴金属に対しても怨念の効果を弱らせるので吸血鬼は軒並みその能力を低下させる。
 しかし、疾風がここで眠らせてもらったのには別の意味がある。
『四百年の因縁をここで終わらせるのは勿体ないだろ? だから相応しい舞台をそろえなくちゃならない』
 目を瞑れば直ぐにでもアレの顔を思い出すことが出来る。
『今日は顔見せだけさ。舞台はもうすぐ。出来は上々。踊るのは俺達』
 同じ時期に吸血鬼となり、共に同じ時間を生きた吸血鬼。
『踊ろう!狂気の踊りを!殺し殺されよう!あの時のように!俺達にはそれしかない!そうだろう兄弟!』
 アレこそが吸血鬼。罪そのもの。存在そのものを否定しえる絶対たる悪。
 彼の死は全てのものの願いであり、彼を祝福するものはいない。
 そう、自分以外は…………
「…………」
 自分の望みが遂に叶えられるのだろう。それは予感ではなく予知だ。彼は自分の限界を知っている。だから答えは分かっている。
 彼はアレに殺される…………
 それは彼が望み、そして正しい答えだった。
 
「すごい…………ここまで完璧な循環系なんて…………」
 シロはそう呟く。無理もない。この村の呪いは術者なら寒気を覚えるほどのものだが、同時にその完璧に似た構成はどこか芸術めいたものすら感じられる。
「これじゃあ、常識法則くらいの領域ね。一体誰がこんな呪いを構成したんだろう…………」
 この呪いには一部のほころびもないほどの構成が為されている。それはまるで純粋なる自然の営みのような構成だ。
 循環系の呪いとはただ略奪するだけの呪いではなく、一定の利益を与える替わりに奪う等価交換的な呪いだ。当然呪い側の利益の方が高いからこそ呪いであり、もし奪われる側の利益の方が高い場合は「縛り」と言われている。
「シロ。ここの部分が怪しいみたい」
 解析を続けていたハナが怪しい部分を指差す。
「山の中?」
「うん、この場所だけ、巧妙だけど結界が張ってある感じがするんだ。八門遁甲式だと思うけど実際に行ってみないと分からないなぁ」  
 指差した場所は村の端にある山の中程だ。そしてシロはその場所に覚えがあった。
「ここは…………」
 青年を追って最後に着いた場所。村を一望出来る高台のような場所だ。
「ハナ、ここに八門遁甲式が張られているの?」
「うん、正確なところは分からないけどそれに近いものは張られてる。たぶん三門くらいかな。四門や五、七門にしては弱いから」
「進んで永遠に迷い続けるといった類じゃないって事ね」
「うん。せいぜい前に進めなくなるくらいのものだと思う」
「そう…………」
 その場所を見つめる。
(何かしらの条件を満たしていたということ?でも、それなら一体…………)
 何の苦労もせずにシロ達は入ることが出来た。そして前を走っていた青年も。この二組に共通することがあるはずなのだが、それが何なのかシロには考えもつかない。
「まあ、行ってみれば分かると思うよ。それほど強い結界じゃないみたいだし」
「…………そうね、ここで悩んでいても仕方ないか」
 気持ちを切り替えてシロは立ち上がる。
「はぁ〜久しぶりに外に出られるよ〜」
 ハナは嬉しそうに立体映像を消去するとシロに一拍遅れて立ち上がる。
「遊んでる暇はないわよ」
 一応ハナを窘める。しかしその言葉にハナは不服そうな顔をした。
「分かってますよ〜だ」
 シロの前に出るとハナは襖を開ける。
『きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
 悲鳴は同時に聞こえた。
 
「!」
 直ぐさま起きあがると、疾風は外に飛び出す。
 外に出て最初に見た光景は黒と赤だった。
 黒は今まで散々見て来た黒い木偶。そして赤は血だ。黒い何かの周りには血の海が広がっていた。その血の海の所々に肉片が見える。内部から爆発させたような感じだとやけに冷静に疾風はその場を見つめていた。
「あ……あ……ああ……」
 疾風の隣には村人の一人が尻餅をついてその光景を凝視していた。恐怖のせいで言葉が出ず、体が弛緩している。そしてそれをゆっくりと見つめる黒い何か。双眸の妖しげな光が村人を捉えている。
 手が伸びる。まるで紐のようなその手は村人の眉間を確実に捉えていた。しかし、その手が眉間に到達する前に疾風の短刀が紐の手を切り捨てる。
「!?」
 紐の手は直ぐに自壊し、消滅した。黒い何かは驚いたように一歩下がる。
「これが、お前の言う舞台か、鴉」
 呟く。この場に鴉がいないことを知っていながらも疾風は言葉をもらさずにはいられなかった。
「なら、望み通り踊ってやるよ。お互い死ぬまでな」
 短刀を持ち、疾風は黒い何かに向かって走り出した。
 
「…………」
 悲鳴を聞いて青年は顔を上げる。
「な…何?」
 隣にいたツバメもその悲鳴を聞いていたのだろう。心配そうな顔つきで辺りを見渡していた。
「…………」
 青年はすぐに腰に差している刃を引き抜き、感覚を研ぎ澄ませる。断続的に聞こえる悲鳴。複数から聞こえるその悲鳴はただごとではない。
「ね……ねえ」
 蒼白なツバメは青年の袖を引っ張る。青年はツバメを一瞥すると左手でツバメの腰を持った。
「え……あ、ちょっと!」
 そのまま抱きかかえると、彼女を肩に担ぐ。
「辛抱しててくれ…………」
 それだけ言うと走り出した。目標はツバメの家。疾風のいるところだ。
 
 悲鳴の現場に最初に到達出来たのは葉月だった。しかしそれでも遅すぎた。目の前にある光景はどこか遠くの幻想めいたものだった。
「…………」
 誰が悪いわけでもない。防げぬものは防げない。それを陰陽寮で何度も味わってきた。ただ人々が平和であることを願い続け、結局それはただの理想でしかないと分かった時もそれでも願いは変わらなかった。だから世界を狭めて手の届くところだけでも平和であろうと全てを抛ちこの村に来た。しかし、それでも、その願いは叶わなかった。
「どうして…………」
 そこには二人の村人がいた。葉月は二人をよく知っている。一人は先日双子がこの村に着いてきた時神社にやって来た八七だ。もう一人は八七の妹であるトウ。たぶん八七の死を見て彼女が悲鳴を上げたのだろう。二人の死体は胸に大きな穴が開き、血で濡れた大地に横たわっていた。
「どうして、こんな…………」
 何がいけなかったのか。どうして争いもなく平和に生きられないのか。何故自分の目の前には化物と死体しかないのか。
 黒い何かが、葉月を見つめる。歯を食いしばり葉月はその黒い何かを睨み付けた。
「いいでしょう。所詮血塗られた道ならば私は鬼になる」
 右手を握りしめ、「力」を開放する。彼の右手が光り出すとそれは光のまま刀のような形状へと変化した。「迷世兵装」と呼ばれる力。それが葉月の能力だ。基本的なものは術と変わらないが、術と違い穴を極力省略して発現出来るために生命力の消費が少なく瞬間的にしか力を発揮出来ない術とは違い、持続出来る長所を持っている。この時代では使える人間は葉月を入れて三人という高難度の技術だ。
「葉月玄水…………これより修羅に入る」
 その言葉と共に、黒い何かは言葉通り粉微塵にされた。
 
 『五拾七、飛礫!』
 二人の祝詞と共に近くにあった石が目標へと高速で飛来する。その打撃を受けて目標の黒い何かは霧散した。
「はぁ、はぁ、はぁ」
 肩で息をしながらシロは当たりを見渡す。近くに黒い何かはいないようだが、そろそろ限界だ。単独でならそれぞれ一回、双子である二人の能力を同調させて術を使用する「供化」なら残り三回が限度だろう。
 術は単独による単体に使用するものだ。生命力という不明瞭な力を使用するので回数が限られる術は、複数の敵を相手にするには向いていない。その弱点を補ったのが「迷世兵装」なのだが、あまりにも技術的に難しいので 才能に恵まれた人間しか使用する事は出来ないのだ。
「一体、何が起きてるのよ」
 突然村を襲いだした黒い何か。訳も判らず襲われ撃退してきたが、あまりにも唐突だったので出し惜しみなど考える暇もなかったのだ。
「…………」
 ハナも息を荒くして言葉がなかった。その顔は憔悴と焦りがある。この数は異常だ。少なくても双子ではとても太刀打ち出来る規模ではない。
「とにかく葉月さんと合流しましょう」
「うん」
 頷くハナを見て、シロは走り出した。
 
「…………」
 切り裂くことと消滅することは同時。左肩にツバメを乗せている重荷などまるで苦にしないかのように走り、敵を薙る。
「うわ!わ!あ〜!」
 しかし肩にしがみつくことになったツバメにとっては災難以外の何ものでもない。しかも後ろ側に乗せられているので青年が一体何をしているのかまるで分からないのだ。だが、彼女にとってはこれは幸運なのかもしれない。もし正面を見ていたら正気でいられるか難しいところだろう。
「…………」
 再び敵と接触。藁のように敵は何もせずに消滅する。
 ここまで青年は敵の数など数えては来なかったが、それでもかなりの数を撃退してきた。数は減少傾向にあるだろうが、被害は甚大だ。死体の数も数えていないが斬ってきた奴らの倍は下らないだろう。
「…………」
 青年は無言。そして無表情を崩さない。そして、青年はようやく目当ての化物を見つけた。
 
 どこかで見ている。これほどの狂気を振りまいておいて隠れているはずがない。あいつは死を招く黒い何かを操りながら楽しんでいるはずなのだ。
 疾風は当たりを見渡しながら出てくる黒い何かを消滅させていく。この黒い何かは鴉の「無数」だ。怨念を利用しているところからそれは間違いない。しかし規模に至っては疾風と鴉では桁が違う。怨念の絶対量が違うのだ。吸血鬼になってから一度も人を殺さず、また外法を用いなかった疾風と快楽のために多くのものを殺してきた鴉ではその力の違いは一目瞭然だ。しかし質と量は必ずしも一致するわけではない。疾風が鴉を出し抜くことの出来る部分があるとすればそこだ。
「疾風!」
 名を呼ばれて疾風は振り返る。そこにいたのはツバメを左肩に抱え、右手に刃を持つ青年だった。
「名無し」
 彼を見て何故かほっとした。熱せられていた頭が急に冷めていくような印象だった。
「大丈夫かそっちは?」
 肩に担いでいるツバメを見ながらそう呟く。
「問題ない」
 肩に担いでいたツバメをようやく開放する。自分の足で立ち、ツバメは疾風の法を振り返るった。
「疾風ぇ」 
 疾風を見て安心したのかほっと息をつくとツバメは疾風の方へと向かってくる。疾風もツバメに近づく。しかしその間に黒い何かが発生した。
「!」
「?」
 黒い何かは人型に構成され、やがて化物へと形を変えた。
「やあ、兄弟」
 化物の攻撃は俊敏に形成される。彼の内から十七の黒い矢が唐突に発生するとその矢全てが疾風へと発射された。
「ちっ!」
 舌打ちしながら間合いを離す。発射された矢は人ならば避けられぬものだが、疾風なら避けられる。
 持っていた短刀を駆使し、体を折り曲げ矢を避ける。しかし肩に激痛が走った。
「ぐっ!」
 十七の内の八本目。避けられると錯覚した矢は疾風の肉を抉り霧散した。
「!?」
 だが、そんな状況よりも恐ろしい状況が目の前にあった。ある意味自分が最も最悪だと予想した状況。それは、その最悪は現状に存在した。 
「あ、ああ…………」
 声が漏れる。だが、それ以上の声は出せない。濃厚な殺気が己を縛り、離さず、体の急所という急所に刃を突き立てられた感覚。
「どうだい?こういう演出は?」
 化物の喜々とした声が聞こえた。化物の隣にはツバメがいる。黒い何かで縛られ状況は分からないが、ただ自分がとんでもない場面に出くわしているところだけは理解している顔つきで。
「そいつを離せ、鴉!」
 叫ぶ疾風に化物はただ笑っているだけだ。
「…………」
 青年は後ろで制止している。しかし動かない。いや、ここで動けばツバメが死ぬと分かっているのだろう。冷淡ではあるが懸命な考えだ。
「こいつを離して欲しいかい兄弟?」
 分かっていることを笑みを浮かべながら問うてくる。疾風は化物を睨みつけた。だがそれすらも化物にとっては笑みを与えるものでしかなかった。
「じゃあ、本気になって追いかけてくるがいい。躊躇うなよ。この餓鬼の命は俺が握っている。お前が望むならこの餓鬼を頭からつま先までしゃぶったって良いし、傷物にしてやっても良いんだ。俺を楽しませてくれよ」
 化物は黒い底へと落ちる。疾風は即座に怨念を展開した。
「追え!」
 糸の様な黒い線はその黒い底に飲み込まれていった。  
「疾風…………」
「お前は黒い何かを倒してから追ってきてくれ。俺はツバメを助けに行く」
 青年は一瞬だけ表情を濁らせたが直ぐに無表情に戻り頷く。
「死ぬなよ」
「お互い、もう死んでるだろ」
 疾風は青年を置いて疾走した。
 
「消えろ」
 光の太刀を振るい、黒い何かは消滅する。疾走しながらもその動きに危なさもそして疲れも一切見えない。元々葉月は生命力も並はずれた能力を有している。しかしより実戦的な能力である迷世兵装を選んだ結果、術の使用を捨ててきたのだ。もし彼が術の体得に時間を割いたなら、希代の術師になっていた可能性もあるだろう。
「流石にもう片手で余る程度ですか」
 数十近い黒い何かを倒し、その数は確実に減ってきている。これ以上の撃退はひとまず置いておいて村人の非難が優先かもしれない。葉月がそう考えた時、誰かがこちらに走ってくるのが見えた。
 それは小さな少女だった。年の頃は六つかそこらだろう。しかし直ぐに葉月はそれよりも重大なことに気づく。少女の肩と胸にべっとりと血が付着していたのだ。急いで葉月は少女の方へ駆け寄る。
「大丈夫ですか!」
 走ってきた少女は葉月を確認すると、泣きじゃくりながら葉月に抱きついてきた。
「お姉ちゃんが!お姉ちゃんが!!」
 叫く少女をあやしながら葉月は少女の傷を確認する。肩の傷は少女のものだが、胸の血はどうやら他人の者のようだ。着物は血で汚れているが肩以外にこれといった外傷はない。ひとまず安心し、次に少女に視線を合わせる。
「どうしたんです?何があったんですか?」
 少女は鼻をすすりながら、涙をぽろぽろ落としてしゃくりあげながら話す。
「お……お姉ちゃんが……ひっく……私を庇って……怪我して……それで……私……何も、ひっく……出来なくて……それで……」
 後は言葉にならない。少女は先ほどの体験を思い出したのか再び泣き出した。これ以上少女から話を聞き出すのは難しいだろう。葉月はそう判断して彼女を抱きかかえる。
「そこに案内して下さい。私が行きます」
 少女を抱いたまま再び葉月は走り出した。
 
「…………」
 シロは倒れていた。ほんの数分前の出来事を思い出す。
 
 最初にあの少女を見つけたのはシロだった。親とはぐれたのだろう。泣きじゃくりながら周りが見えていなかった。その目の前に黒い何かがいることなど彼女には理解出来なかったかもしれない。
 術は間に合わず、シロの頭の中は真っ白になってしまった。そして次の瞬間シロは黒い何かと少女の間にいた。黒い何かの攻撃は針のようなものでそれはシロの腹を貫き、少女の肩を軽く抉った。そしてその次にハナの術が黒い何かに当たり、その戦いは終わった。少女は泣きじゃくりながらシロを揺さぶり、自分の傷など感慨見ずに誰かを呼んでくると走っていってしまった。
 腹の傷は実は大したことはない。もちろん貫通したほどなのでかなりの出血だが、内蔵は避けて通っているので傷口を押さえておけば小半刻は持ちこたえられるはずだ。だが、痛みはどうしても押さえられない。貫かれた場所はまるで火鉢を通したままかと思われるほどの激痛が続いているし、どうしても血が抜けていくので体が冷えていく。だが、痛みのせいで逆に頭はうまい具合に回っていた。
「シロ…………」
 近くにはハナがいる。シロはハナを見つめ、問いかけた。
「どうして?」
「…………」
 ハナはその問いかけに答えない。答えを知らないのではない。答えをあぐねいていた。
「どうしてなのハナ?」
「…………」
 否定して欲しいが、何故かハナは何も答えない。
「どうして、あなたが術を完成出来たの?」
 術に必要な印にはどうしても時間がかかる。シロとハナではハナの方が印に時間を必要とし、あの状況ではハナの印の所要時間では術は完成出来ないはずなのだ。それはシロが一番よく知っている。もちろん隠して置いたという可能性もあるが、それでも納得のいく答えが聞きたかった。そうでなければ余計なことを考えてしまう。
「答えてハナ!」
 苦痛に顔を歪めながら、目だけ真剣にシロはハナを見つめる。ハナはその瞳を真正面から見つめ返し、力無くシロを見ていた。
「不思議だったのよ………。どうして…………帝がこの呪いを私達に………託したのか。私達じゃ…………この呪いを完全に……解けるかどうか…………でも、帝はそんなこと分かってるはず…………だから…………もしかしたら…………この呪いを任されたのは…………私達じゃなくて…………」
 私が知っている私の近くの存在では?
「もういいよシロ」
 弱々しく笑みを浮かべながらハナは答えた。そんな表情をシロは一度も見たことはない。
「シロが怪我したのはもしかしたら良かったのかもしれないね。その怪我ならシロは動けないだろうし」
「何言って!」
『喋らないで』
 ハナの言葉と共にシロは喋れなくなった。
「!?」 
「ごめんね。シロ。私、シロに謝らなきゃいけないことがあるんだ」
 何かを諦めたようで、でも微笑みながらシロの手を握る。ハナの手は血を失っているシロにはとても暖かく感じた。
「私、シロの双子じゃないんだよ」
「…………」
 言葉は出ない。ハナの言霊のせいかもしれないが、その力が無くてもシロは言葉を出すことは出来なかった。
「それもシロとは血も繋がってないんだ。ごめんね、ずっとシロを騙してた」
 手を離す。ハナは一度目を瞑ると一言「戻して」と呟く。そして次の瞬間ハナは全く別の姿をしていた。
 それは少女だった。シロとは別の可憐な少女。だが、まだ子供とも言える程の少女だった。
「これが本当の私。私ね、あらゆるものを『騙す』力を持っているんだ。だから今まで私はシロの双子としてあらゆる者を騙してた。シロを含めて。でもね、帝にはばれてたみたい。だからあんな命令を私に出したのよ。私は他に人間よりも力が強いしこの力もあるから。だからこの仕事は私の仕事。シロはいらないの。だから…………」
 そこまで言ってハナは俯いた。
「だから、もう私のことは『忘れて』。シロ…………」
 それは言霊を乗せた言葉だ。彼女の力は全てを『騙す』力。例え彼女を知っていても忘れると「騙される」。
 能力者。
 常識法則の例外因子をその身に宿し、発現した人の総称。例外因子の数は無限にあり、故にその能力の数は無限に存在する。しかし因子があっても能力を発現出来る者は少ない。そのため陰陽寮にも能力者はほとんどいない。帝を護衛する数人の中にいる程度だ。
「ハナ…………」
 その名を呼ぶ。だが直ぐにその名の意味は失ってしまう。それが彼女の力だから。
「さよなら」
 悲しみとも笑みとも取れる不思議な表情で彼女は去っていった。
 
 だが、何も思い出せない。
「…………」
 しかし数分間に何故か決して埋められない何かを失った気がした。それが何か分からない。ただ自分の腹が貫かれるよりも痛い思いをしたような、そんな漠然とした想いがある。
「……なら行かなきゃ」
 腹の痛みより痛い想いならば直さなければならない。この痛みを越える痛みがあるならば耐えられる。
 激痛に何度もめまいを起こし、冷や汗をかきながら立ち上がる。巫女装束は血に染まり、まともに動けるとは思えない。だが、いかなければ。何か大切な者を失ってしまう。
 何処に行けばいいのか。シロは思い浮かべる。
『シロ、この部分が怪しいみたい』
「そうだ。山の中…………」
 刺された部分を手で押さえ、出血を抑え山に向かう。
 …………日は傾き始めたいた。
 
〜十三章「闇久終焉・1」終〜
  

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