反転悲劇・3


 鴉は笑みを携えながら、一歩前に出る。笑っているのにその笑みからは喜びを感じない。いや、それ以上に狂気によってその笑みは歪められているのだ。強烈な殺気と濃厚な黒い嫌悪感は一歩進んだだけなのに、倍ほど強く感じる。
「本当に、久しぶりだなぁ。疾風。お前を殺してから四百年。お前ほど俺を快感に溺れさせてくれた奴はいなかったよ。お前を殺した後、俺が何回いったと思う?時間があればお前のケツであと五回はいけたと思うんだけどな」
「…………その口調は止めろ。虫酸が走る」
 火縄を握ろうとして、疾風は直ぐに懐にしまい直した。投げている瞬間に攻撃を仕掛けてきそうな雰囲気があったからだ。
「はは、そう言うなよ。結構気に入ってるんだぜ、この口調。前のは何しろ粗悪すぎる。あれじゃあ三下の言語さ」
 また一歩前に出ながら、鴉は両手を広げた。水平に上げた左右の手からは、それぞれどす黒い気が昇り始める。  
「お互い、しぶとく生きてたんだ。つもる話しをしようじゃないか!」
 同時に鴉が駆ける。
「俺達はとっくに死んでるよ!」
 右手を短刀に持ち替え、迫り寄る鴉を迎え撃つ。
 何かを握っているような黒く染まった右手が疾風の顔を捉えようと迫ってくる。だが直情的な攻撃に当たるほど疾風も場数は踏んでいない。疾風からは左、鴉にとっては右を左足を軸にして回転するように回避する。そのまま鴉に後ろを見せると同時に鉈を構え、一回転で疾風は鴉の懐を捉えた。 
 斬る
 覚悟を入れた瞬間、鴉の服を斬った感触を感じたが、鴉は即座に刃の軌跡から一気に遠のく。
「はは!やはり最高だな。俺を殺すことに躊躇いがまったくない」
 嬉しそうにそう言いながら、斬れた服を一瞥し、再び疾風に対峙する。
「躊躇い?誰がするんだよ。お前に対して」
 右手に持っていた短刀を逆手に持つ。右手の攻撃でかすった頬がヒリヒリする。火傷のような感覚だが、実際どのような攻撃なのかは判らない。試してみようとも思わないが。
「それでこそ、我が兄弟」
 笑いながらも再び両手が黒く染まる。肘を持ち上げ前傾姿勢になると顔だけは笑みのまま疾風を見続けている。四百年ぶりの再開に気でも狂ったかのようだ。そう考えて疾風は直ぐにその考えを否定する。アレは元々壊れているのだ。
「次はかわせるかな?」
 言葉と共に二回目の攻撃。初撃よりも早い。しかし冷静さを失わず、疾風は逆手で持った短刀を己の顔付近にかざし、防御の姿勢を取る。
「しゃ!」
 曲げていた肘を広げて左右からの攻撃。その出鱈目な動きは動物のようなだ。疾風は一瞬で左右の軌跡を読むと、最初に来る左の攻撃に短刀を合わせる。軌跡は疾風の予測と変わらず接触。
「!」
 短刀の効果で鴉の黒い気が数瞬で消え去る。
「まだ持ってたか、それを!」
 左手を下げて右を振りかざす。だが、それよりも早く短刀の軌道は鴉の右手を捉えており、黒い気はほとんど間を置かず消え去った。
「ちっ!」
 舌打ちしながら鴉は二度目の後退。短刀を構え注意深く疾風は鴉を睨み付ける。鴉は自分の腕を確認した後に疾風の方に視線を向けた。その瞳は濁って何を写しているのか判らない。だが表情だけを見るとやはりそれは笑っていた。 
「安心したよ。どうやら前よりも強くなってるようだな」
 言いながら自分の手を舐める。人差し指、中指と順に舐めながらそれをまるで疾風に見せつけているかのようにその行為を続ける。疾風は感情を見せず短刀の構えを解くことはない。
「年の功でな。それより本気で来い。次に適当にやったらお前の核を捉えるぞ」
 脅しなどではない、事実疾風はそれを実行する。疾風の持つ短刀で吸血鬼を切っても殺すことは出来ない。この短刀で吸血鬼を確実に殺すには怨念と肉体の定着中心「核」を突く事が必要だ。短刀は現世に戻す作用がある。吸血鬼の基本は死体なので短刀で斬りつけても現世に戻す効果では意味がない。そのために現世ではあり得ない部位「核」を切る必要があるのだ。
「はっ!俺に勝てると本気で思っているのか?」
 鴉の気が変わる。黒々しく触れれば寒気を起こさせるその気は今は完全なる殺意へと変貌していた。ただ殺す。それだけをその気配は漂わせている。あまりにもおぞましく、ここに人がいればその気配だけで殺されかねないほどの意志を持っている。だが、疾風は人ではない。故にそのような殺気では何の感慨も得ない。
「…………」
 体を硬直させて直ぐにでも飛びかかれる構えを取る。彼も鋭敏な殺意を鴉に向けていた。鴉が殺人鬼の殺意なら疾風の殺意は暗殺者のそれだ。殺人鬼は呼吸のように人を殺す。殺人こそが生きる意味だからだ。だから鴉の殺意は狂気のものだ。誰にも理解することの出来ない、誰にも分からぬ殺意。それが恐怖を誘い出す。逆に疾風の殺意は職業的なものだ。そこにはある意味理解の範疇にあり、人はそれに熱意と同時にあきらめを持つ。熱意とは生き残れるかもしれない可能性でありあきらめは死が決定したことに対するものだ。
 場を狂気に促す殺気と鋭利でたった一人だけを殺すための殺気がぶつかり……
 やがて消えた。
「…………冗談。ここでお前と事を構える気はないさ」
 殺気を解いたのは鴉の方からだった。
「どういうことだ?」
 突然殺気を解いた鴉を不審に思いながらも、体勢はそのままに疾風は聞き返す。
「四百年の因縁をここで終わらせるのは勿体ないだろ? だから相応しい舞台をそろえなくちゃならない」
 鴉は笑っている。
「…………」
 それは狂気の笑みだ。人を止めて四百年の歳月が作り出した狂気。それがあの笑みなのだ。内心で戦慄すると同時に疾風は思う。アレと自分、一体何が違うのかと。自分こそ切り刻まれて死ぬことを望む狂気の持ち主ではないのか。ただ違うのはその狂気が内にあるのと外にあるだけ。それだけだ。アレも自分もとっくに人間を止めているのだから。
「今日は顔見せだけさ。舞台はもうすぐ。出来は上々。踊るのは俺達」
 鴉が闇に沈んでいく。疾風はそれをただ見つめる。構えてはいたがそれは形だけだ。ここで彼を倒すことも出来ず追うことも出来ない。それを確信している自分がいた。
「踊ろう!狂気の踊りを!殺し殺されよう!あの時のように!俺達にはそれしかない!そうだろう兄弟!」
 歌っているかのように叫び、闇に沈む。鴉の笑いが森にこだまする。その言葉、全てに疾風は頷いた。
「そうだな。俺達にはそれしかない」
 既に鴉のいない闇に向かって疾風はそう、呟いた。
 
「疾風さん!」
 村に戻ってくると、葉月と青年が待ちかまえていた。
「どうしたんです。遅かったので心配しましたよ」
「ああ、すまない。気になることがあったんで森に入り込んだら迷っちまった」
 駆け寄ってくる葉月にそう言うと直ぐに奥へと歩く。
「…………」
 青年は座っていた。いつものように感情のない瞳で疾風を見つめている。それが何故か癪にさわり疾風は視線を外す。見透かされたような気がしたのだ。彼の瞳を見た瞬間疾風はそう感じた。そんなことなどあるはずがないのに。
「気になること?なんだったんですかそれは」
 葉月は疾風の方にむき直す。
「いや、俺の勘違いだった。それより次は誰が回るんだ。俺は休んでるから行ってくれ」
 たき火の前に座る。何もかも煩わしくなって疾風は目を瞑り、意識的に耳を塞いだ。
 
 結局、この日はさしたる事も起きず朝日を迎える。疾風は鴉のことは誰にも話さなかった。鴉のことを話せば他の二人は間違いなく動いただろう。だが、疾風は黙っていた。理由を聞かれれば疾風自身、困るだろう。ただ、これだけは言えた。アレを殺せるのは自分だけだろうと。
 舞台が揃うまで、疾風は眠りにつく。そこに悲劇しか残されていないと理解しながらも。
 
「…………見つけた」
 巫女はそう呟くと、指先で虚空をなぞる。その指先は正確には虚空をなぞったわけではない。虚空には既に半透明の村の縮図が描かれている。そこから『呪い』の拠点を見つけ出し地図に描き示しているのだ。
 呪いがこの村を覆うものなら何かしらの拠点を置いてこの村を覆っているはずだと考えた双子は早速その拠点探しを始めた。しかし、事態はそう簡単なものではなかった。
「…………これで何カ所目?」
 分かりきってはいるがそれでもシロは呟く。それを聞いてハナは半透明の地図を見つめると溜息をついた。
「ちょうど百箇所目。もう無駄っぽいね」
 ここ数日間拠点探しに明け暮れたが、分かったことと言えばその拠点があまりにも多いということだけだ。呪いにはある一箇所を拠点としたものと複数の箇所を拠点とする二通りがあるが、この村の呪いはそのどちらにも当てはまらない。
「病みたいなものね。一度かかったものを拠点にして他の人間に感染して拠点を築いていく。病はこの村限定だけど一度この呪いに縛られれば無作為に人に害を及ぼしていく。しかも『善意』という形で…………」
 人を拒絶するのに最も厄介なものは「善意」だ。悪意や敵意であれば跳ね返すことも切り捨てることも出来る。しかし好意や善意を跳ね飛ばすことは悪意を跳ね飛ばすよりも心身共に堪える事だ。「呪い」はこの善意を利用されていた。
「酷く歪だね。この呪い…………」
 ハナは呟く。呪いの解析が進み、呪いの核心までには到達出来なかったが外装だけならこの呪いの全容は掴めた。しかしそれはあまり良い結果ではないものだ。二人の顔色を見れば誰でもそう思うだろう。その顔は解析のための憔悴だけではなく、明らかに解析していた呪いに対しての嫌悪感があった。
「この村に閉鎖感がなかったのは呪いのせいなのね」
「……人の善意を底上げすることで呪いによる不利な点を隠し、村を潤わせる。何処までが自分の意志で何処までが呪いの意志なのかこれじゃあ分からないよ」
「厄介なのは自覚が全くないって事なんでしょうね。信仰と同じね。その人にとってそれこそが世界のあり方なんだから。例えどんなに周りから見ておかしくても」
 苦虫を噛み潰したよう顔でシロは虚空に描かれた村の縮図を見つめる。村の拠点。それは全て動く「人」だった。 
「拠点を潰す手は駄目ね。後の可能性は…………」
「核を見つけるぐらいしか…………でも、こんな完全な循環型の呪いに核何てあるかなぁ…………」
「いえ、あるはずよ。人の命を奪うのは何かしらの力を得ようとしてるんだから。貯蔵庫的なものがかならずあるはず」
「そうだね。じゃあ今度は倍率を下げて探してみるね」
 ハナはそう言って再び瞑想状態に入る。彼女の能力を拡大して使用する技術なのでシロは特に手を出さない。
 呪いの解析が終わるまで、残り数刻。その後に待つ悲劇をまだ二人は知るよしもなかった。

闇久の糸〜十二章「反転悲劇・3」〜終

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