反転悲劇・1


四百年前
 二人の術者にある命令が下った。
『不老不死者を捉えよ』
 それが命令の内容だった。
 陰陽寮「暗」。
 かつて疾風が所属していたその存在すら秘匿されていた部署。疾風は、いわば弾丸と同じ要領で使われていた。発射されれば決して取りに戻る必要はなく、確実に相手を貫き殺す道具として使われたのだ。しかし疾風は幾度となく戻ってきた。己が生き残るためなら「外法」すらも利用して、彼は生き残り続けた。結果、その時代では最強の一角と呼ばれるほどの術者になる。しかし所詮は汚い仕事を任された存在であり、決して彼の名は表の舞台には出されることはなかった。しかし疾風にとっては富や名声などさしたる興味もなかった。ただ生きることだけ。疾風にはこれが精一杯だった。

(生きることで精一杯だったんだ。だから不相応なことをすれば駄目になる。分かっていたのにな…………)
 しかし後悔など一切無い。彼はある意味、全てを諦めていた。己の可能性以外の全てに。
自分自身が駄目だと思えばそれは絶対に駄目なのだ。だから諦める。諦めるという言葉が似合わないなら、自分の限界を知っていると解釈しても良い。それが彼の強さだった。

「ふぅ」
 息を吐いて緊張をほぐすと、疾風はその場に座った。ツバメの家の前。散歩がてらに周りをぐるりと回った後、入る前に一息ついておきたかったのだ。何しろツバメの家は何かと気苦労が多い。彼女達に罪はないのだが、あまりにもその接待が過剰なのだ。ありがた迷惑とまでは言わないが、何にしても一人で何もかもやっていた疾風にとっては、どこか窮屈な気分にさせるものだった。
「はぁ」
 もう一度、溜息をする。

 不老不死者を捉える…………  
 彼らの無理難題は時を経て、過剰になっていった。だが疾風はそれを全て突破していった。そうするしか生きる術がなかったから。そして、疾風にとって最後に任務となった命令はこれであった。

 『不老不死者』
 陰陽寮に通って、その名を聞かない時はなかった。
 曰く、立ち向かう術者をことごとく斬殺する鬼
 曰く、圧倒的な「力」と術を持つ天才
 曰く、美しき少女……

 しかし、そんな話は疾風にとって興味を持つものではなかった。少なくてもその命令を受けるまでは、そんな話など忘れていたほどだ。

『いかなる術者もあのものを捉えることは出来なかった』
 静かにその話を聞く疾風は、どこか自分が虚ろになっていることを自覚していた。不老不死者が何者で、どんな強力な存在だとしても興味など無かった。疾風の最優先は生きること。そしてそのために任務を遂行することに集約されている彼にはこのような話など、ただの茶番だった。しかし疾風の前に立つ男はそんなことなどお構いなしに話し続ける。
『それを捉える。いかなる術、いかなる技を持ってしても構わない。奴は死なない。生きて捉えろとは言わない。殺す気で捉える。奴はそれでも死なないのだから……』
そんな言葉も疾風はどこか遠い所で聞いていた様な感じだった。

「こんな所で何してるの疾風?」
  少し感慨に耽っていたのか、いつの間にか目の前にツバメがいた。
「別に、ただ空を眺めてただけさ」
本当は、空など眺めていなかった。目線は確かに空にあったが、思考の海に漂っていた疾風は空など全く意識していない。
「そ、じゃあ私も」
ツバメは疾風の隣に座ると、疾風の目線と同じように空を眺める。少しの間ツバメを見ていたが、何も話さず空を見上げてばかりいる彼女に飽きて、再び疾風は空を見上げる。
  (そういや。彼女も、こいつくらいの年齢だったのかな。あの術を施す前は…………)

「俺を楽しませてくれよ。兄弟」
そう言った奴の笑顔は狂気に満ちていた。
普段単独で任務に当たる疾風だったが、今回ばかりは勝手が違った。相棒として一人の男を同行させたのだ。
「鴉。聞いているよ。お前の変態ぶりは」
「ハッハッハ。誉めるなよ兄弟!それより、どんな話を聞いたんだ?俺が貴族の屋敷に忍び込んで、手当たり次第、女を殺した後に犯したことか?それともガキの骨を一本一本抜いてって、それをしゃぶり尽くしたことか?」
「初耳だよ。そんなこと」
その後に響いたのは、耳に残る下劣な笑い声だった。 

   鴉は疾風と同じ経緯で術者になった男だった。しかし彼が疾風と違う部分は疾風は任務を着実に遂行するのに対して、鴉の場合は、必ず何かしらの跡を残す。それもあまりにも言葉に出来ないような残虐な行為を彼は残すのだ。いや、彼の場合は任務など二の次でありこの残虐な行為こそが彼の本質なのかもしれない。しかし、実力だけは疾風をも凌ぐ実力者であり、陰陽寮にとっては疾風以上の頭痛の種であった。

「不老不死者。噂には聞いてるが、何でも娘らしいじゃないか」
鴉は言葉が返ってこないと分かっていながらもよく話した。その全ての会話が疾風にとっては不快だったが、彼の口を閉ざす術を知らなかったので右から左へ流す作業を続けるしかなかった。
「犯してみたいなぁ。数百年経った女のアソコって変わってるのかな?処女膜も再生するか見てみたいと思わないか兄弟?」
「…………」
何故か鴉は疾風のことを「兄弟」と言っていた。その言葉を聞く度に、疾風は自分でもどうしようもないほどのどす黒い感情に支配されているような錯覚に陥った。

「空ってさぁ…………」
唐突にツバメが口を開く。とたんに我に返ると疾風はツバメの方を向いた。だが、ツバメは先ほどからずっと空を眺めているようで、どこか呆然とそのまま空を見上げていた。
「何で青いのかな?」
疾風の顔は見ず、一方的な質問だった。むしろただ思ったことだけを口にしたのかもしれない。
疾風は少しだけその疑問を反芻する。意外にもその言葉は自分の中にあった。

    その少女は冷え切った夜の空を見上げていた。月光に照らされ揺れる長い銀髪は、その光を吸収しているかのように美しく輝いている。この世のどんなものよりも儚く、そして美しいと疾風は思った。だが、同時にこうも思う。その美しさは人のような温かな美しさではない。言ってみれば芸術のような冷めた美しさだ。彼女にはまるで生気が感じられないのだ。こちらを向いて目と目があっても疾風のその思いは変わらなかった。

偶然と言えばそうなのかもしれない。いい加減、鴉の腐った話しに嫌気がさして別行動を取っていた時、彼女と出逢った。巫女装束を着込み繊細な線で描かれた顔立ちは細身で華奢な雰囲気を漂わせている。鬼、天才、少女。全てを兼ね備えた彼女が、目の前に立つ彼女こそが不老不死者と言われ、百年という長い年月をかけて陰陽寮が追い求めていた存在であった。

「そうだな。青ってのは冷静の色って言われてる」
疾風はこちらを向かないツバメを特に気にもせずに話を続けた。過去、聞いているだけだった自分を思い出すように

「夕日以外は空はとても沈静な色が多い。青、白、灰、黒。理由はきっと他の感情を全て覆い尽くそうとしているから。いくつもの感情を青い色で奪い去り、そして夕日にしてしまう。だから空は青いの…………」
どうしてこんな話になったのかは分からないが、彼女は一方的に疾風の答えなど待たずに話し続けていた。
  「私は青い空が好き。雲一つ無い空が。私の汚れを全て洗い流してくれるような気がするから。大空に手を伸ばせば、赤い血で染まったこの手を綺麗にしてくれるような気がするから」
   彼女はそう呟いて空に両手を広げる。この白い手は幾人の術者を殺し、向かってくる全ての人を屠り去った手だ。
  「疲れたの……。だから今の陰陽寮がどうなっているのか見ようと思っているだけ。もしかしたら、この永遠という苦痛を取り除く何かを手に入れられるかもしれないから……」 
そう話す彼女は、何もかも絶望して全てを諦めているような顔をしていた。百年近くの絶望。疾風にはどうすることも出来ず、ただ彼女の話を聞いているしかなかった。自分に出来るのは自分を救うことだけ。それが疾風の限界だった。

   「この術は私を絶対に殺さない。そして他の誰かが、この術を継承することは出来ません。だって私は…………」 

「疾風って、何者なの?」
今度はこちらを見て言った。
「何者って?」
 ツバメの言わんとすることがいまいち理解できず、そう聞き返す疾風。
「何だか、普通の人とは違うから。もしかしたら私達とはどこか違うのかなと思って」
「…………」
 言葉に詰まる。再び「何故?」と聞こうとすることをどうにか飲み込んだ。 
「あ、別に答えを求めてる訳じゃないから。ただ何となくそう思っただけ」
 複雑な表情を浮かべた疾風を察してか、手を振って気にしないでと勤めるツバメ。
「…………」
 少し目線をずらし、そして再び疾風は空を見上げた。
「…………」
 ツバメもそれに習って空を見上げる。

「あんたは消えた方が良い」
 疾風は立ち上がり彼女にそう告げた。
「でも、あなたは私を捕まえるためにここに来たんじゃ…………」
「だが、あんたは俺達の監視には引っかからなかった。それで良い」
 これが、疾風の答えだった。彼女の絶望を救う手だてはない。でもいつかは見つかるかもしれない。疾風の最も不得意とする運という作用が必要な話だったが、このまま捕まえるよりも建設的な気がした。
「…………本当に良いのですか?」
「別に。どうせ俺は陰陽寮の嫌われ者だ。任務の一つ二つ失敗しても風当たりは大して変わらない」
 肩をすくめてそう言う。疾風の最大限の強がりだった。
「………………ありがとうございます…………」
 そして、疾風はその時初めて彼女の小さな笑顔を見た気がした。 

「化物だって言ったら…………信じるか?」
 その何気ない呟きに、ツバメはそっと振り返る。
「化物?」
「ああ。この世界にはいてはいけない存在。魔のもの。化物。それが俺だって言ったら信じるか?」
 冗談ともとれる呟きでそう言ったのだが、ツバメの目は真剣だった。
「……もし、その話が本当で、疾風がこの世にいてはいけない存在でも…………私は別に構わないよ。私にとって疾風やあの人はそんなこと関係ないって信じられるから」
 瞳は決してよどみなく、ツバメが真剣であることは確かだった。
「そうか…………」
 静かに溜息、安堵の溜息をついて疾風は空を見上げた。    

「これ、あなたにあげます」
 そう言って手渡したのは一本の短刀だった。
「これは?」
「『力あるものを殺し足る力』を持つ短刀です。感謝を表す方法を他に知らないので、もらって下さい」
 一瞬躊躇ったが、疾風はそれを受け取った。受け取らなかった方が失礼になると思ったからだ。
「ありがたくもらっておくよ」
 短刀を鞘から引き抜きしっかりと握ると意外にもそれはすんなり手になじんだ。まるで最初から疾風様に作られたかのように。刃のきらめきは彼女の銀髪のように美しく輝いている。
「良い短刀だ」
 素直にそう呟き、短刀を鞘に戻した。
「それでは…………」
 軽く礼をすると、彼女は夜の闇へと消えていった。一度も振り向かず、闇の中をよみどなく。
「…………」
  やがて、彼女が闇へと完全に消えたのを確認すると、疾風も反対の方へと歩き出した。しかし、疾風はこの時想像もしていなかった。五分も歩かない内にこの世で一番会いたくない人物に会うことになるとは…………

「俺はあんたのことが好きなんだよ疾風」
 初めて名前を言ったあの時の快感を今でも覚えている。
 彼は俺と同じ存在。誰からも存在を認められず、ただ物のように使われやがて消えていく、消耗品。ただ他の消耗品と違うのは「力」を持っているという所。そう、一人でも生きていくだけの力を持っている存在。この世にいる馬鹿どもとは違う選ばれたもの。それが俺達。
 こいつを殺したい。そう、俺はこいつが好きだが同時にこいつは殺すべき対象だ。力を持つ存在は多くいてはいけない。本能とも言うのか、こいつの存在は俺に警鐘を鳴らす。そして俺は哀しいかな、その本能に従いあいつを殺した。こんなに愛しているのに、こんなに同情できるあいつを殺した。

 なんて哀しくて…………

 なんて気持ちがいいんだろう…………

 狂気の吸血鬼は夢を見た。
 それは遙か昔、自分が最後に殺した最高の相手の夢と、自分を殺した銀髪の少女の夢だった。

反吐が出る台詞とはこの事を言うのだろう。
疾風は鴉には嫌悪感しか持てなかった。彼の話は確かに疾風も共感できた。
同類
確かにある一片を見れば、自分と鴉。大した差はないだろう。だが、それを認めるわけにはいかなかった。こいつと同じ存在など断固として否定したかった。ならば殺すしかない。自分の存在を賭けて、疾風は戦った。例え結果が分かっている負け戦でも、この場だけは引けなかった。

「生きることに存在なんていらないんだよ」
「ん?」
 急に呟いた疾風の言葉が気になり、ツバメは彼の方に顔を向ける。だが、独り言と同じ要領で、疾風は空を眺めながら呟き続ける。
「生きてるだけで良かったんだ。だが、欲をかいちまった。『存在』なんてものを確認したくなっちまった…………」
 空を眺める。
「けど、どうしてかな。後悔してないんだよな」

   次に目覚めた時には、痛みはなかった。
 不思議に思い、体を調べてみると鴉に開けられた全ての風穴がふさがっており、無傷と言っても良いほど体は完璧に完治していた。思考はゆっくくりとこの原因を解決させるために働く。しばらくして一つの単語が彼の頭の中に流れ込んできた。

   吸血鬼

 死した後、怨念によって「生かされる」哀れな鬼。外法使いのなれの果てと言われる化物。
 疾風は自分が倒れた場所を眺めた。致死量とも言える血液がその場には流れており、一目で自分が死んでいたことを確実視させる。
「そうか…………」
 吸血鬼へと成り下がった自分を確認して、疾風は空を見た。真っ黒に塗り潰された夜の空。星も月も見えない夜なのに、疾風には何故か、全てを見通せそうな錯覚を覚えた。

    疾風は視線を上から正面へと移すと、ゆっくりと立ち上がった。いつの間にかかなりの時間が経っていることに気づいたのだ。本来なら少しばかり息抜きをして家に入る予定だったのだが、ツバメが隣にいたせいで長居をしてしまった。   
「入る?疾風」
 空を見上げていたツバメは目線をそのままに疾風を見つめる。
「……ああ」
 頷き、疾風はツバメに手をさしのべた。
「ありがと」
 手を握り、勢いに任せてツバメは立ち上がる。
「どういたしまして」
 そう言って軽く笑う疾風。疾風は気づいてはいなかったが、いつの間にか、ツバメに対する気疲れは消えていた。

ツバメが家に入り、疾風も家に入る前、再び彼女の言葉を思い出す。

「この術は私を絶対に殺さない。そして他の誰かが、この術を継承することは出来ません。だって私は…………」

もう一度空を眺める。どこまでも澄み切って、全ての汚れを落としてくれそうな、彼女が好きだった空。 
だが、その空はどこか哀しげだ。それは何故か分からない。感傷がそうさせているのかもしれない。
「…………」
 疾風はその感情に決着を付けることは出来ず、沈黙のまま、家の中に入っていった。

『…………だって私は、人を愛せるなんて思えないから…………』

  平穏な時間。平穏な日々。決して無限ではなくても、まだこの平和は先まで続くものだと思っていた。だから、明日の朝。血液を抜かれた変死体が見つかることなど、この時誰も予想すらしていなかった。

闇久の糸〜十章「反転悲劇・1」〜終


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