同調演技・3



「じゃあ、いくよ〜!」
 ハナはそう言って大きく振りかぶると、手に持った鞠を投げる。あの体勢ならその倍は飛びそうだったが、それはハナが手加減した意外にない。そして、ハナの周りにいた子供達は一斉に鞠を追いかけた。
 昼下がりの境内。物珍しい巫女の双子を見たくて子供達は集まってきた。それを快く一人で受け入れたのはハナだった。
「待て〜!」
「こっちだよ〜。お姉ちゃん!」
「わ〜い!」
 ハナも同じように追いかける。精神年齢も近いせいか、ハナと子供達は意気投合して遊ぶことになったわけだ。
 そしてシロ達は……

「納得いきません!」
 再び叫び、その叫びは嫌悪感をはっきり示していた。
「まあ、まあ、シロさん」
 それを押さえる葉月。困ったような顔つきだが、細目で頼りない。
「これが、一番安全なんですから、しょうがないじゃないじゃないですか」
「なら!今すぐ滅殺すればいいじゃないですか!」
 そう言って指差した方向には、疾風と青年が立ちつくしていた。

 経緯はこうだ。
   村のだいたいの地理を知りたいと言ってきたシロの頼みを聞き入れた葉月は、やってきた子供達を取り敢えず、ハナに任せて神社を後にした。そのついでにシロを待たせて、この二人を連れてきたのだ。
「やはり理解できません!今なら私達の方が有利です!危険因子はすぐに排除するべきです!」
 今にも印を組んで、術を発動しそうなシロを押さえる葉月。それを、頬を掻きながら見ている疾風。当然、無表情な青年。
「出直してきた方が良いんじゃないか?」
「いや、そう言うわけにもいきません」
 怒髪天状態のシロを羽交い締めにして制止しながら、葉月はやんわりした口調で疾風の提案を否定した。
「一応、あなたは吸血鬼です。しばらくですが、私達の元で拘束させてもらいます」 
「なるほど。で、後ろからばっさり」
「殺りましょう!」
 本当に殺る気のシロをそれでも押さえつけて葉月は首を振る。
「そんなことは出来ればしたくありませんし、私もいきなり襲うつもりはありません。理由がなければですが」
「あったらする訳か?」
「ええ。私が予感した通りでなく、ただの吸血鬼なら」
 口調、表情は全く変わらないが、まるで隠された刃を見せられたような鋭さを醸し出していた。その気に触れてシロはようやく停止する。
「一つ聞きますが、疾風さんは吸血鬼になってからどのくらいの時間を吸血鬼として過ごしているんですか?」
「難しいことを聞くな」
「すいません」
 謝るが、全く気にした表情ではない。だが疾風は特に気分を害したわけでもなく、少し考えた後で答えた。
「四百年くらいかな」
「そうですか…………」
   聞いた後に、葉月はシロの方を見る。シロは心なしか表情がこわばっているように見えた。まあ当然だろう。
 四百年も生きている吸血鬼はそうはいない。怨念は長い時間が経てば立つほど熟練され、力を増していく。そしてそれはそのまま吸血鬼の強化へと繋がるのだ。四百年などと言う長い時間ならば思いもよらない力を有している可能性もある。
 実際に疾風は「無数」を体得しているので、危険性は他の吸血鬼に比べて遙かに高いはずだ。
「まあ、長生きなんてするもんじゃないさ。な?」
 冗談めかしに疾風は、青年に話を振った。
「…………そうだな」
 青年は頷くでもなく、そう呟いた。
「……短い命の方が汚い物を見るのが少なくてすむ…………」
「…………」
「…………」
 青年の言葉は異様なまでに実感がこもっており、周りのものを絶句させるには十分だった。
「お前が暗いのは判った。で、俺達を拘束してどこに行くんだ?」
 その場の雰囲気を察してか、青年を後ろに下がらせて、疾風は葉月に先を促す。
「あ、そうですね。お二人にはまだ、何も言ってませんでした。実は今日は皆さんに村を案内しようと思いまして」
 疾風の意図に気づき、葉月は今回の用件を二人に伝えた。
「そうか。じゃあ、ちょうどいいや。こいつが村を見たいって言ってたし」
 親指で青年を差す、疾風。
「見たことがある気がする……」
 小さく青年は呟く。だが小さい呟きだったがその声は他の三人にも聞こえるものだった。
「見たことがあると言いますと?この村ですか?」
 葉月が訪ねると青年はこくりと頷く。
「ずっと昔、俺がまだ人間だった頃……」
「え?」
 疑問符を最初に浮かべたのはシロだった。
「人間だった頃……ですか?」
「…………人間じゃないよ。俺は……」
 青年は無表情で、ただどこか寂しげにそう呟く。
   「それでは一体…………」
「さて、それじゃあ案内してくれよ。葉月さん」
 会話は、途中で葉月と青年の間に現れた疾風に遮られる。
「……判りました」
 一瞬躊躇うが、葉月はそう決断した。疾風は満足げに頷くと横にずれ、青年の姿は再び葉月、シロが見えるようになった。
「それでは、行きましょうか」
 気持ちを切り替えて、葉月は歩き出し、後ろの三人はそれに従った。

「お姉ちゃん。どうしたの?」
 子供の一人がハナが何か遠くを見ていることに気づいた。
「ん、ああ。何だか変な雲行きだと思ったの」
「?」
 子供は視線をハナと同じ位置に持っていく。だがそちらを向いても特に怪しい雲はなかった。
「雲なんてどこにもないよ」
「あれ?そうだね」
 再びハナは自分が先ほどまで見ていた場所を眺める。
「変なお姉ちゃん」
 そう言って子供は再び仲間の所へと戻っていった。
「う〜ん……ま、いっか」
 ハナは一人で結論づけると、子供達の所へと向かう。
 普通の子供では「視えない」何か。ハナが見たのはそう言うものだった。

「こう見ると、本当に神社が多いですね」
 シロはそう呟く。
 村には人が住む居住区と、田畑が広がる農作地区の二つに大まかに分かれている。村を大きな円に喩えると中心部に居住区、そしてその周りを囲むように田畑が広がっているのだ。当然、その円の中には森や山が浸食しているので、ただ何も無い円というわけではないが、基本はそのような形だ。もちろん田畑の関係で、居住区から離れて生活している者もいる。
 そのような説明を受けた後、四人は取り敢えずこの中心地を回ることになった。そしてその途中で聞かされていたが、この村には神社がいくつも建立されているとのことだった。
どのくらいという具体的な数字は示されなかったが、すぐに葉月以外の三人はその数に驚かされた。
 下手をすれば大きさはともかく、世帯数近くの神社がこの村には存在するかもしれないのだ。
 しかし、建立しただけで無人の手入れのされていないものがほとんどで、人のいる場所は葉月のいる神社だけだそうだ。
「そうだな」
 疾風もそれに同意した。一瞬シロはむっとするが、言葉を続ける。たぶん、吸血鬼が自分と同じ考えだと言うことに腹立たしかったのだろう。
「やはり、これも『呪い』のせいでしょうか?」
 前を歩く葉月に尋ねる。
「そうですね。人の術で太刀打ちできないなら、それ以上のもの縋る。当たり前のことですね。ですが『呪い』だけがどうやら理由ではないみたいです」
「どういう事ですか?」
シロは意外そうに顔をこちらに向けてきた葉月に聞いた。
「『呪い』の発祥は今から約四百年前とされています。これは都の記録なので確かです。ですがこれらの神社のうち、三割ほどが四百年以前に建立されたものなんです。これは神社の調査によって判りました」
「三割か…………」
 疾風は声を漏らす。
 それでも、昔からこの村の神社の数は多いと言う訳だ。
「この神社……見たことある」
 青年が立ち止まった。
 そこには古ぼけた神社が建っている。今にも崩れそうなその神社は、まるで時間という存在に耐えきれず駆逐されていったかのようだ。
「調べた中で、最も古い神社ですね」
「古すぎて、神様もいなくなっちまったみたいだな」
葉月の説明の後、疾風は見たままの感想を述べた。
 確かに神社特有の神々しさや、聖域という雰囲気は感じられない。そこにはただの建物が、人々やその他全てに忘れ去られたような建っているだけだ。
「…………」
 青年はまるで魂を吸い寄せられたかのように呆然とその神社を眺めている。
「何か、思い出したか?」
 疾風がそう聞くと、青年はふっといつもの無表情に戻り疾風の方に顔を向けた。
「……わからない。ただ引っかかる」
 自分自身でも、不明瞭な説明しかできないようだ。疾風は溜息をつくと、肩をすくめた。
「失った記憶を取り戻すんだ。そんな簡単に見つかるわけはないわな」
「……そうだな」
 青年は納得したように頷く。
 そしてそのやりとりをただ見ている二人。
 
 葉月、そしてシロにとってもこの青年は異質なものだった。吸血鬼と共に現れて、まるで何の主体性も持ち合わせていない、この青年は一体何者なのか?
 自分のことを人間ではないと言い、死者そのままの虚ろな瞳を宿し、吸血鬼を瀕死になりながら助け、再び出会うと傷一つ負っていない姿で現れた。
 未知なるものは恐怖の対象だ。分からないものはものは対処のしようがなく、余計な考えを生んでしまう。推測や憶測が飛び交い、その考えは雪だるま式に膨大な誤認へと変化してしまうのだ。
 だから、知る事は大切なのだ。特に生死を賭けた戦いに置いて、相手の能力を知ることでどれほど有利になるかは一目瞭然だ。

「それじゃあ次の場所へ行きましょうか」
 葉月は促す。ここで考えていても仕方がない。葉月は気持ちを切り替えた。自分の考えが正しいと信じているから。
 この者達とは戦わない。
 ふと、シロの方を見る。
(彼女が暴走しなければですけどね…………)
 心の中で苦笑しながら、そう、付け加えた。

「黒い……やな感じだなぁ…………」
 神社の縁側でお茶を飲みながら山を見つめるハナ。子供達はもういない。何しろ昼過ぎだ。親の手伝いもあるそうなので子供達はまた明日と言って神社から去っていった。
もう一度、ハナは山の方を見つめる。
 普通の人には視えない何か。ずいぶんと不明瞭だが、ハナにもはっきりと判らないから「何か」であるしかない。
「シロとか、あっちに行かなければ良いんだけど……帰ったら言っておかなきゃ」
 呟いてお茶をすする。
 そして、ハナは知らなかった。その山の上には神社があり、葉月の案内で全員がそちらに向かっていることを。

「そう言えば、こっちの方角だったな……」
 誰にも聞こえないように呟く疾風。
 昨夜のあの少女が向かった方角。確かそれは、こちらの方角だった気がする。夜と昼ではその印象はがらりと変わってしまうので、確実とは言い難いが間違ってるとも言えない。 葉月の後に並んで歩く三人の中で、一番後方の疾風はそれを利用して一度後ろを振り向き自分が今まで辿ってきた道を眺める。道と言っても獣道でしかなく、非常に勾配の激しい道だった。
 昨夜の彼女は、一体どちらだったのか。どちらかであるはずだが、それを聞くのは難しい。前を向いて再び三人に着いていく。
 何しろどちらかと言うことは、どちらかは間違いだと言うことだ。容姿、雰囲気で判らないのだから、当てるには運が必要だ。そしてそれは疾風が最も不得意とする要素だった。
(運なってあったら、俺は吸血鬼としてこんな事はやってないわな)
 苦笑する。疾風には運などと言う要素は全くなかった。欲しいものは全て実力で手に入れてきたし、手に入れられなかったものは実力が足りなかったからだ。偶然はなく、全ては必然の中で希望的観測は一切無いのが、疾風だった。
 だからこそ自分に不相応なことをするには、自分以上の力を必要とする。それが術者にとって禁忌であっても、彼はそれを必要としたから、使用したのだ。
 他者の命を奪って使用する禁忌の術「外法」。奪った奴等ははどうしようもない屑ばかりだったが、命はやはり命だ。それ相応の罪は償わなければならない。そう、これをも見越して、疾風は「外法」を使い続けたのだから。
 それにあの少女が一体何なのかという疑問など、今の疾風にはさして関係はなかった。
だから聞く必要性は現在は皆無だ。それに彼女も秘密にして欲しいと言っている。ならば今はまだ心の内に留めていた方が良いのだろう。
 疾風は結論づける。
 そして問題なのは、この村の周りを囲い始めている「黒い何か」の方だ。昨夜、森の探索でもう一体それを見つけた。夜と言うことで「無数」を使うことなく殺すことは出来たが、もしかしたらまだいるかもしれない。
(村には近づかないみたいだが、嫌な気がするな……)
 理由無く、あんなものがあるはずはない。しかし、その理由はまだ判らない。ただ喜ばしいことではないことだけは、理解していた。
(まあ、なんとかするさ……)
 そう思い、前に集中すると青年が立ち止まっていることに気づいた。先ほどの神社と同じような、何かに魅入られる様な状態で道の横を見ている。
「どうした?」
「…………」
 青年は疾風の質問に答えず、まだその場に佇んでいる。他の二人もそれに気づいたようで、ゆっくりとこちらに近づいてきた。
「どうしました?」
「…………」
 聞いてきたのは、葉月だけだったが、青年は相変わらず無視してただ一点を見つめている。それを疑問に思った葉月は疾風の方に顔を向けるが、疾風は肩をすくめてお手上げの構えをするほか無かった。と、そこでようやく青年は動きを見せる。ただし全員が疑問に思っていたことは一切離さず、急に見ていた方向に走り出したのだ。
「おい!」
 疾風は彼の肩を掴もうとするが、それよりも早く青年は森の中へと走っていってしまった。
「追いますか?」
 無駄な発言でしかない葉月の言葉を聞いて、疾風は頷く。この場で否定など、あり得ない。
「しかなさそうだな」
  溜息をついて、三人は森の中へと進んでいった。

 シロは二人の後を追いかけながら、悶々としていた。
 聞きたいことがある。しかし聞くことは出来ない。それは強固な板挟みの状態だった。
 聞きたいことは、青年のこと。聞くことが出来ない理由は、聞く相手が吸血鬼だと言うこと。
 そのために彼女は黙っている以外に無かった。それ以上に言葉を使う必要がなかったからだ。しかしまるでその心を読んだかのように、葉月は走りながら疾風の方へと視線を向けた。
「差し支えなければ彼が何者なのか、教えてもらえませんか?」
「!」
 その言葉にシロは反応する。
「聞いてどうする?」
 答えを出し渋る疾風。と言うよりは、今その話をする必要はないと言いたげだった。
  「聞く義務は、あると思います」
「…………」
 吸血鬼を野放しにすると言う異例な状態を思い出す。
「…………たぶん、古代の術の『継承者』だ。しかも『紛失番号』の術の」
「『紛失番号』!」
 声を上げたのはシロだった。その声に驚いたのか、他の二人は同時にシロの方を見る。「失礼しました」
 二人同時に顔を見られ、気恥ずかしくなって謝罪した。だがすぐに先ほどの事実を確認するために顔を上げる。
「それは本当なんですか?」
 最早、吸血鬼だからなどとは言っていられない。それ以上に知的興奮から、シロは疾風に聞き返す。
「俺も確認した訳じゃない。あいつ自身忘れているし。ただ、俺はあいつとよく似た状況の奴を知っている。そいつから説明を受けたんだ。『完全なる不老不死の術』についてな。そして見た限り、あいつはまさしくそれだ」
「不老不死!彼は、それを体現しているんですか!」
「あの〜」
「ああ。俺と奴が出会った時も、あいつの言葉を信じれば五年間、飲まず食わずで生きていた。あんたと戦った時も結局死ななかったしな」
「信じられない。でも、たしかに『風牙』『不爆』『竜破』を立て続けに食らっても死ななかったことは説明できるけど。しかし、そんな強力な術が存在するなんて……いえ、まずそれが『紛失番号』であることも問題だというのに……」
「あの〜」
「強力すぎたから『紛失番号』になったんだろ。彼女も、そう言っていた」
「彼女?そう言えば先ほど、よく似た状況の奴と言っていますね。つまり、それが『彼女』と言うことですか?」
「そうだ。ただし、こちらはもう死んでいるだろうな」
「死んでいる?先ほどの話では『完全な不老不死』ではなかったのですか?」
「え〜と、すいません」
「ん」
「え」
 ようやく、話に没頭していた二人は葉月の方に顔を向ける。
「あの……専門用語が多すぎで私には理解できないことが多いんですが」
 そう言われて二人はそれぞれ先ほどの会話を思い出す。そして一つの結論に達した。
「どこがだ?」
「どこがですか?」
 一寸の狂い無く二人同時に呟いた。
「え〜と、特に『紛失番号』って何ですか?」
「葉月さんは陰陽寮の方なのでは……と言うよりどうして吸血鬼のあなたが知っているんです!」
 シロは、最初に気づかなければならない疑問に、ようやく思い立った。
「まあ、色々だ」
「そんな理由で「はい、そうですか」と言えるわけありません!」
「じゃあ、俺が元陰陽寮の「暗」にいたってなら説明になるか?」
「なっ!」
シロは絶句する。陰陽寮の「暗」とは暗殺のために鍛えられた人間がいる部署の通称だ。しかしそれは噂でしかなく本当に存在するかなど判らない、怪しい部署でもある。当然シロもそれが本当に存在するかなど知らない。
「まあ、俺は雇われの身だったから、宮仕えなんかはしてないがな」
「そんな部署が実際に存在しているか判りません!」
「……シロさん。それより話を進めてくれませんか?」
 待ちくたびれたように呟く葉月。
「それよりじゃありません!」
「その話は後で追求しましょう。出来れば私も彼のことが知りたいので、知らない言葉を教えて下さい」
「…………判りました」
 しこりの残る結果だったが、これ以上の追求は葉月が止めるので諦める。
「じゃあ、『紛失番号』について教えて下さい」
 何故か笑顔で葉月は疑問を口にした。

 現在、術には四つの区分がされている。
 それが『術』、『禁術』、『外法』、『紛失番号』の四つだ。
 『術』は本来術師が使用する術であり、術師自身の生命力を削り使用する。術師が使用できる術は一日数回。当然それ以上使用出来るがそう言ったものは命を捨てている者達だけだ。生命力という不確かなものを使用しているので実のところ限界は判らない。そのため大抵の術師が自分の限界をあらかじめ設定しておくわけだ。そしてそれを守る。それが術師が生きていくことに大切なことだった。
 そして『禁術』。これは一度の使用で一人以上の生命力を使う術。または、使用することで世界に悪影響を及ぼす可能性がある術だ。当然陰陽寮でこの術を使う術師はいない。が、決して破棄するわけでもなくそれは渾然と『禁術』というなで存在し続けている。
 『外法』。本来術は使用すると己の生命力を奪われるのだが、他人の生命力を奪うことで発動する術もある。それが『外法』だ。術師にとって『生前』は全く害を及ぼさないので使い勝手は良い。ただし、死した後『吸血鬼』になりたいならばだが。 
 最後に『紛失番号』。これは陰陽寮に保管されている特殊な道具『命司呪集』に名前、術の効力が記載されていない術のことだ。この道具は術が完成されると自動的に番号が振り当てられ、その後、陰陽寮の人間が術のなと効力を記載するのだが、何らかの事情で名前が書かれなかった術がいくつか存在する。つまり番号が振り当てられていながら術の名前すら判らない術。それが『紛失番号』なのだ。

「その、名前も判らない術が彼に施されていると?」
「そうなるな」
 シロの長い説明の後、葉月は合点がいったらしく疾風に確認する。
「さっきあんたが言った疑問に答えとこう。何故彼女が死んでいるか」
「はい」
 疾風に頷くシロ。すでに彼女の中に彼が吸血鬼であるという事実は消えていた。
「答えは、あいつのことを『継承者』と言ったからだ」
葉月は疑問の顔を浮かべたが、シロはすぐに合点がいった。つまり
「その術の対象は世界で一人……」
「そう言うことだ。たぶん彼女は誰かにその術を『継承』させた。そしてその術は現在あいつの元にある。俺はそう、推測している」
 そして疾風は一瞬躊躇ったが、言葉を続ける。
「けどこの推測が合っているなら、彼女の次にその術を受け継いだのはあいつだ」
「根拠は?」
 口を開いたのは葉月だった。
「決定的なのはこれだよ」
 まるで予想していたかのようになめらかに答えると、腰から短刀を引き抜く。
「彼女からもらった短刀だ。彼女は『力を持っているものなら、この刃で殺せるものはいない』そうだ。調べたが結果は『何も判らない』だった。原理はおろか、素材すら判らない」
 二人に見せた後、再び腰に戻した。
「これと同じものをあいつも持っている。少なくても、因縁があったことは推測できるって訳だ」
「なるほど」
 そして青年が残した痕跡を辿りながら森を走る三人。それぞれ息一つ切れていない。
「これは、あいつには話さないでおいてくれ」
「どうしてです?彼は記憶を失っているんでしょ。これは有益な情報では?」
「まあな。ただ、あまり良い結果を及ぼさない気がする。忘れてて良い記憶だっていくつもある」
「…………そうですか」
「…………」
 呟く葉月と、納得していないシロ。その二人を交互に見ながら、疾風は視線を前へと戻した。
(忘れたい記憶だってある……)
 少女を思い出す。

この術は私を絶対に殺さない。
 そして他の誰かが、この術を継承することは出来ません。
 だって私は………… 

 考えてみれば彼女にあって数日、彼女の安らいだ顔を見たのはあの最後の日だけでしかなかった。
 どれほどの絶望に日々だったのか疾風には判らない。彼女のあの言葉がそれを物語っている。

 だって私は…………

(つまらない憶測の上を現実はかすめ飛んでいく。俺が思っている以上の悲劇でなかったことを考えたいな)
   疾風は一人、そう思う。
 そして、三人は森を抜けた。

 そこは、一面の草原と、眼下に村を一望できる場所だった。森の中とは違い風が心地よく吹き、草が何かを語りかけてくるかのようにざわめいている。
 雄大という言葉が三人の頭の中をよぎる。しかしその言葉を誰かが紡ぐ前に、正面に青年が佇んでいることに視界が奪われていた。
「…………」
 だが青年は、三人の事などまるで気づいていないようで、眼下の村を見ていた。
「名無し……」
 名前がないのはこんな時、不便だ。彼を繋ぎ止めておく名がない。
 だが、青年はその言葉に反応した。肩が一瞬震え、下を向いていた顔が、正面を見据える。
「疾風……」
 名を呼ばれた。いつも単調な彼の言葉とは思えない、どこか困った、それでいて哀しげな声。
「教えて欲しい……」
 青年はこちらを振り返る。三人は一切、声を出さなかった。否、声を失ってしまった。
「何で……俺は泣いているんだ?」
 青年の両目から流れているのは確かに涙だった。青年は表情をほとんど変えていないのにその涙だけは止めどなく流れている。まるで感情と表情が一致していないようだった。
「俺は、ここを知っている。でも思い出せない。ここまで来るのに何の躊躇いもなかった。でも思い出せない。ここは絶対に俺にとって大切な場所なのに……」
 青年の声はとても静かだったが、その想いは絶叫と何ら変わりない。
「どうして……俺は何も思い出せないんだ?」
 それを最後に、青年は倒れた。
「名無し!」
疾風はすぐに駆け寄る。他の二人も同様だ。
 青年を抱えると彼はどうやら気絶しているだけらしかった。息もあるし顔色は悪くない。一息入れて落ち着くと他の二人を見る。
「悪い、どうも思い出せないことに心労が重なったみたいだ」
「そうですか。それじゃあ帰って寝かせてあげた方が良いみたいですね」
「まあ放っておいても大丈夫だけどな」
 皮肉を言いながら青年を担ぐ。これで青年を担ぐのは二回目だ。
「そうはいきませんよ。とにかく帰りましょう」
 葉月の提案は誰も否定しなかった。

 夜、神社の境内。
 その日は雲が無く、星と月を愛でるにはまさに最高の夜だった。
「シロ〜何してるの?」
 星を眺めていたシロは後ろからの声に振り返る。
「星を見てただけ。ハナも見る?」
「うん」
 ハナはシロの所まで駆け寄り隣に座って空を見上げた。
「今日はどうだった?」
 ハナはシロを見ずにそう呟く。
「別に。ただ村を案内してもらっただけだから」
一度ハナを見ようとしたが、改めて空を見ることにした。ハナは変な所で勘が鋭いので扱いづらい。
 じと目でシロを見る。
「何が?」
「シロは何かあると私から視線そらすもん」
  「…………」
 どうもハナには隠し事が出来ない。溜息をついてハナの方へ顔を向けた。
「色々ありました」
「どんなこと?」
 喜々とした顔つきで、ハナはシロに詰め寄った。
   
「へ〜そんな事があったんだ〜」
 一通り話を聞いてハナは満足そうに再び空を見る。
「まあね」
 相槌を打ってハナと同じように空を見上げるシロ。
「そう言えば、シロ。あのおじさんのことどうしたの?」
「おじさん」
「吸血鬼の」
「ああ……どうしたのって?」
 おじさんという表現はずいぶんと彼には似合わない気がした。
「シロのことだから『吸血鬼は即滅殺!』なんて言って襲いかかったんじゃないの?」
「そんなことしないわよ」
「え?何で?」
「何でって…………」
 考えて、自分の疑問に思いつく。
 隙あれば確かに自分はあの吸血鬼を殺そうとしていた。それなのにいつの間にか彼を吸血鬼だと言うことすら忘れていた。
 不思議な感覚だった。昨日までは確かに殺意があったのに、今はそれがない。
  「何でだろう?」
 問いかけられて初めて気づいた。
「シロが判らなければ私だって判らないよ」
 笑って立ち上がるハナ。
「ま、それより『呪い』のことをなんとかしなきゃね」
「…………そうね、明日から本格的に調べましょ」
「うん。じゃあ私はもう寝るね」
「おやすみなさい」
「おやすみ〜」
 手を振ってハナは消えていった。
 再び一人になるシロ。
「……どういう心境の変化なのかしら?」
 自分のことなのに自分のことが判らない。
「あの人も色々気になるし……」
 無表情で涙を流す青年。それを思い出す。
「呪いを解くまでは、この気持ちは抑えておいた方が良いわね。たとえ演技でも」
色々と考えたいことも疑問もあったがシロはその一言で全てけりを付ける。まずは勅命を果たすこと。それが第一だ。
 シロもハナを習ってもう寝ることにした。立ち上がり、もう一度空を見上がる。
 空には幾千の星と月が平等に輝いていた。

 山の山頂の神社。
 葉月が案内しようとして、結局来ることの無かったこの場所で、吸血鬼はゆっくりと起きあがった。
「邪魔だな」
 呟き、手を広げる。
「消えろ」
 次の瞬間、吸血鬼の手から黒い何かが飛び出すと神社を一瞬にして崩壊させた。跡形もない、完全な「消去」だった。だが、吸血鬼は笑み一つ漏らさない。もの言わぬ物を破壊しても彼に快楽をもたらすことはないのだ。
「で、情報は?」
 吸血鬼は目の前にいる、人型の黒い塊に目を向ける。疾風が二度倒したものと同じものだった。
 黒い塊は吸血鬼に近づくと、彼の出した手のひらに頭を乗せる。すると塊はみるみるうちに吸血鬼の手のひらに吸収されていき、やがて完全にその姿を消した。
「…………」
 吸血鬼は目を瞑り、黒い塊が持ってきた情報を一つ一つ吟味する。
「!」
ふと、その作業が中断された。黒い塊が持ってきた情報に、吸血鬼にとって忘れられないものが入っていたのだ。
「まさか……」
 再び黒い塊の情報を確かめる。だが何度見ても結果は同じだった。黒い塊が見つけた森の中を走る三人の内の一人。それは確かに疾風だった。
「クックックック…………」
 吸血鬼は笑い始める。
「ハッハッハッハッハッハッハッハ!!」
 狂ったように笑い出す。いや、この吸血鬼は人間であった頃からすでに狂っている。
「よもや、こんな所で会うとはな!疾風!全く!神がいるなら感謝したい!いや、感謝するべきは魔のものか!まあ良い!素晴らしい!素晴らしい夜になる!快楽で逝ってしまいそうだ!!」
 吸血鬼は笑い続ける。旧友の再会に。そして最後に殺した相手の再開に。
「素晴らしい!素晴らしい!素晴らしい!素晴らしい!素晴らしい!」
 叫ぶ。
 狂気の吸血鬼は頭を抱えて笑った。
「一度座を設けよう!気に入ってくれると良いが……。全く持って素晴らしい夜になりそうだ!」
 吸血鬼は妄想する。彼を引き裂き、そして引き裂かれることを。混ざり合う血の様子を。彼の絶望を。そして己の快楽を。
 狂気の吸血鬼は笑い続けた。だが、その狂った笑いは、けっして誰の耳にも届くことはなかった。

 同調は為される。それがたとえ演技の様な仮初めなものでも、舞台が揃い、役者が揃った。
 そして後は、踊り出すのみ…………

闇久の糸〜九章「同調演技・3」〜終

「同調演技」AllOver
「反転悲劇」Next


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