期会騒乱・3
村という明確な境はないが、そこに人の住む集落があればそれが村になる。この村の境は森なのかもしれない。
森を抜けると非常に拓けた場所があり、そこに足を踏み入れる。
「ふわ〜……ようやく抜けた」
大きく背伸びをしながらハナは息を吸い込む。
「森はやっぱ好きじゃないや。周りが全然見えないし歩きづらいし」
「そうね。こう拓けた場所に来ると、落ち着くわね」
シロもそれに同意しながらハナを追いかかる。
帝の命を受けてから、すでに二週間ほどの時間が経っている。色々な準備や旅の行程で時間がかかってしまった。そして、あと数刻で予定の村に着くと言う時に、ハナが吸血鬼を「視つけ」たのだ。
ハナはシロとは違い、非常に優れた探知能力を持っている。ただ非常に不明確で、ハナ自身はいたって真面目なのだが『何かごわごわしたのが近くにいる』とか『後ろからちくちくした赤っぽいものが飛んでる』など、聞いた人間がとうてい理解できない抽象的すぎる表現方法でそれを話すのだ。
そのため、ハナの探知能力が完全に発揮されるのはシロがいる時だけになっている。
シロはハナとは違い、感応能力を持っているため、誰かが強く想っていることを受け取ることが出来るのだ。ただし、その力は相手に触れなければ使えない上に、はっきりとした想いでなければ関知することは出来ない。
結局のところ、この二人が揃わなければお互いの力を十分に発揮することは出来ないのだ。
「あ、あそこに見えるの家だよね」
そう言って指さした遙か彼方に、小さいが確かに民家のようなものが見える。シロは日差しを手で隠し、ハナが指さした方向を見てみる。
「確かにそうみたいね。いい、ハナ? とりあえず、村に着いたらすること解っているわよね?」
「ぐっすりと眠る?」
「違うでしょ。まずは村に派遣されてる神社の神主さん、葉月さんを探すんでしょ」
「え〜…もう私、疲れて足が棒になっちゃってるんだけど〜」
「実際、棒なんかになりはしないわよ。それより村の人って言うのは閉鎖的で、他の場所から来た人に対して警戒するらしいから、気を引き締めるのよ」
「そんな所に行くのって気が重いよ〜。とりあえず今日は休もうよ〜」
「なに言ってんのよ。もう予定より随分遅れてるんだから、これ以上のばすわけにはいかないの」
座り込んで進むことを拒否するハナ。そんなハナを無理矢理に引っ張りつつ、シロは村へと向かった。
囲樹村。
その名がいつ名付けられたかは分からないが、それ以上に相応しい名はこの村には存在しないだろう。
村の四方を森と山で囲まれたこの地を見れば、誰もがそれに納得する。
シロとハナは言い争いながらも、とりあえず村へとたどり着くことが出来た。
しかし、これから会う人間の所在に関する情報はなかったので、現地の人間に聞く以外無い。
二人にとっては、かなり気の滅入る作業だ。なにしろ、陰陽寮の人間と言うだけで一般の人間からは煙たがられるのに、辺境の村での作業だ。ただでさえ他人を受け入れ難い体勢を持つ辺境で、話を聞いてもらう事というのはそれだけでも至難である。
しかし、やらないわけにはいかない。
その事でうだうだと言い訳しているハナを引っ張り、シロは周りを見渡す。そこで、ちょうど良く野良作業していたらしい男が、二人の方へと歩いてくるのが見えた。シロは意を決してその男の方へ歩いていく。
「すみません」
「ん」
呼ばれて男はシロの方へ顔を向けた。
「あんた誰だ?」
「私は、陰陽寮の人間の……」
言って後悔した。
下手なことを言って警戒させるよりは、すぐにでも本題を言うべきだったのだ。
シロは後悔して言葉を句切ったが、男は惚けたままである。シロはその態度を少々訝しむが……
「いや〜、随分べっぴんさんだな」
「は?」
予想外の対応に今度はシロが惚けた。
「こんなべっぴんさんがこの村に何の用だい? 宿を探してんならオラんちに泊めてやるけど、大したもんはだせねえぞ。なにせ、うちのかかあの飯はまずくて有名だからな」
そうして男は笑った。シロはどうしていいやらと一瞬の躊躇の末、一応同じように笑う。
「いえ、宿は大丈夫です。それより葉月玄水という方を知りませんか?」
「葉月……?」
男は持っていた鍬をその場に置くとしばらく考える。そして、思い出したのか手をぽんと叩いた。
「ああ、葉月の兄ちゃんか! あんた兄ちゃんの知り合いかい」
「ええ、まあ……」
曖昧にシロは頷く。
「そうか、じゃあ案内してやるよ」
まだ何も言ってないが、男は鍬を持って来た道と逆の方を向いた。
「え、いいんですか?」
「いいも悪いもべっぴんさんをおいとくわけにはいかねぇだろ」
そう笑って男は歩き出す。
「あ、ちょっと待って下さい。連れがいるんで」
「何だい、こぶつきかい」
いかにも惜しいという顔つきで男はおどける。それにつられるようにシロは笑った。
「まさか双子とは思わなかったな。あんたらよく間違えられるだろ。オラだったら見分けがつかねえからなぁ」
そう二人を先導する形で前に立っている男は笑った。男は儀助と言ってこの村で農作をしているそうだ。シロやハナは特に儀助について何か聞いた覚えはなかったのだが、いつの間にかそれを教わっていた。彼を見ていると、村が閉鎖的だとかというのが嘘のように思える。
(何か……シロが言ってた村の人とは随分違うね)
(そうね。でもこの人が特別なのかもしれないし、運が良かった、そう思ったほうがいいわ)
小さな声で話す二人の前を歩く儀助の足が突然止まった事に気付き、二人も足を止めた。そこに小太りの女性がいた為だろう。
「おや、見ない顔だね。儀助さんこの二人は?」
「ああ、あの若けえ神主さんの知り合いだとさ。これからちょっくら案内をしてくる所よ」
「へぇ、綺麗な子だね。しかも二人ともそっくり」
「双子だとさ。確か五平のガキも確か双子だったよな」
「あそこの子は双子だけど、顔はちっとも似てないじゃないか。どうだいお二人さん。何ならウチの子の嫁に来ないかい?」
「おいおい、あんたのガキはまだ十歳だろ。いくら何でも気が早いだろ」
「いい子は早めにつば付けとくんだよ」
そう言って女性は二人に手を振ると消えていった。二人は女性を見送ったあと儀助を見る……何故か儀助は思案顔をしていた。
「どうかしましたか?」
シロが訪ねると、思い出したように儀助は二人の方に顔を向ける。
「こいつは早く葉月の兄ちゃんの所に行かないとマズいなぁ」
「どうしてです?」
「さっきの人はトメさんって言って、大の噂好きなんだ。あんたらが来たことをそこら中に言いふらす気だ」
「あの、それって……」
「うちの村集は見ない顔にはおもしろがって寄ってくるからな。ちょっと急ぐぞ」
そう言い終わらない内に儀助は歩き出す。確かに先ほどよりは早足だ。二人もそれに習って歩き出した。
「んじゃオラはここまでだ」
そこは村の規模からすれば非常に立派な神社だった。
「ありがとうございます」
「ありがとうおじさん」
「な〜に、困った時はお互い様ってね。そんじゃオラは」
二人に手を振ると鍬を抱え、大股で儀助は去っていった。
「いい人だったね」
「そうね」
二人は頷きあったあと、目の前の神社を見てみる。
神社は最近建てられた趣があり、木材が若々しい。そして、神社の隣に建てられている宿舎らしい建物に二人の目が止まった。そこから一人の若者が出てきたのだ。
遠くから見ても細身と分かる体つきに、着込んでいる服が全く似合っていない。それゆえ、目立つように見える。
しかし、普通に見ればまるで風景にとけ込んでしまいそうなほどに、存在感がなかった。
その男は周りを見る。そして、二人を確認するとこちらへとやって来る。近づくにつれ、意外に長身であることが分かった。
「シロさんにハナさんですね?」
細身の男は二人の前までたどり着くと、笑顔でこちらを迎える。二人はそれに頷いた。
細身なのは体ではなく、顔の構成自体も細い。まるで病気なのかと思わせるほど、彼の顔つきは痩せこけていた。しかし、それが彼の普通であるように顔つやは悪くはない。
そして、細い目つきはまるで、瞳を閉じた状態であったが彼は確かにこちらを見ていた。
「葉月玄水です。あなた方二人をお世話をするよう帝から勅令を賜っております」
二人に深々と礼をする男、葉月玄水はそう言って笑みを浮かべた。
「遠いところを良く無事で。何もないところですがどうかゆっくりして下さい」
宿舎に招き入れた葉月は、二人にお茶を出すと二人の前に座る。
「ありがとうございます」
「どうも」
二人は同じように、お茶を手に持つと一口すすった。
「喉が渇いていると思いましたので、ぬるめにしておきました。ご要望なら熱いお茶もお出ししますが」
「じゃあ……」
「いえ、結構です」
ハナのおかわりをシロは制止して、葉月にむき直すシロ。ハナは不機嫌な顔をしたが、それ以上は何も言わない。真剣な面持ちに葉月も姿勢を改めた。
「早速ですが、この村についてお話ししていただけないでしょうか。元陰陽寮『払』葉月玄水さん」
「…………」
葉月はしばらく押し黙り、何も窺い知る事の出来ない、一体何を考えているのか分からない表情を浮かべた後、ふと軽い笑みを浮かべた。
「陰陽寮のことはすでに過去です。私はすでに引退した隠居の身。ただの葉月玄水としてお呼び下さい」
そして、立ち上がると庭の方へと体を向ける。二人はそれに視線を合わせて宿舎の外へと視線を合わせた。特に手入れなどされていない小さな庭だったが、そこに立っている木や雑草がやけにその庭に似合っていた。
「一時は『払』の長にまで指名された方がですか?」
「争いが嫌いなのですよ、私は。戦いが嫌いなものは陰陽師をやる資格など無い。そうでしょう?」
「…………」
そこでシロは押し黙った。
一通りその庭を眺めた後、葉月は再び部屋へと戻り元の場所へと座る。
「では、お話ししましょう。この村について」
葉月の顔に笑みが消え、表情が引き締まった。それに同調してシロは一度姿勢を正し、つられてハナも姿勢を正す。
「この村は……」
「葉月さん!」
いきなり、何者かが大声を上げて部屋に入ってきた。葉月は、それほど慌てずにそちらの方を振り向くが、双子の二人は何者かと目を丸くしてそちらに振り返った。そこにいたのは村の青年らしき男で、その後も数人の男女が部屋へと入ってくる。
「なにか、あったのですか?」
青年の顔や、その後ろの人々までもが焦燥に駆られている顔立ちで、何かにせっぱ詰まっていると言うことは間違いない。だが、葉月は全く動揺を見せずいつもの口調だった。それが青年や他の人間を落ち着かせる。
「それが、さっき森に入っていった五平が怪我して戻ってきたんだ。なんで怪我したか聞いてみたら、変な黒いもんが迫ってきたつうんだ。もしかしたら葉月さんの仕事と関係してるんじゃないかと思って」
「!」
それにいち早く反応したのはシロだった。
「その人。今どこに?」
シロは立ち上がり、青年に詰め寄る。青年は彼女が何者かと思ったようで、うろたえながら葉月の方へと助け船の視線を送る。
「その黒いものの正体を知っているんですか?」
「いえ、ですが私たちがこの村に着く前、吸血鬼と出会いました。もしかしたら」
シロの返答に、ようやくハナも「ああ、そう言えば」といった表情を浮かべて手を叩いた。
「それは厄介ですね」
「でも、あの人はそんなことする様には見えなかったけどなぁ」
ハナはお茶をすすりながら呟くが、他の面々は彼女の話などは聞いておらず最悪の事態を想定し始める。
「もしかしたら、この村を襲いに来るかもしれません」
青年や他の人間の顔が一気に蒼白した。表情を変えていないのはハナと葉月だけだ。
「え〜と……」
「シロです」
見分けがつかないので名前が言えなかった葉月のために、シロは名乗る。
「すいません。シロさん。憶測だけでものを言うのは止めましょう。私達が今真っ先にするべき事は現状の把握です。八七さん。五平さん以外に森に入った人はいますか?」
「いや、それが五平と一緒にツバメちゃんが森に入ったらしいんだ。それで怪我した五平をかばって、黒いものの囮になったらしい」
「……それではまずツバメさんの探索ですね。シロさん、ハナさん。すみませんが手伝ってもらいませんか? 最悪の場合、その吸血鬼と戦う事もありえますから」
普通の人間では吸血鬼には太刀打ち出来ない。それこそ、普通の人間百人と一体の吸血鬼が戦っても、人間の方が圧倒的に分が悪い。人間は一度死んでしまえばそれまでだが、吸血鬼の場合はそう簡単に死ぬことはないのだ。それに併せて強力な身体能力が加味されてしまえば敵うはずがない。
「分かりました」
「は〜い」
それぞれが頷き、ハナもようやく立ち上がる。
「八七さん。五平さんの怪我の様子は?」
「ああ、思ったよりは大したことはないが、ただ足をやられているから歩くのは難儀しそうだ」
「解りました。それじゃあ五平さんが帰ってきた付近の案内をお願いします。シロさん、ハナさん。とりあえず私と同行という形でお願いします」
葉月の説明は的確で、よどみが一切無い。周りの人間はそれに従って、葉月の後ろで動き出した。
「このあたりです」
八七に案内されて森の入り口にやってくる。茂みが深く、先がほとんど見えないその場所は、本来は森の出入りに使うものではないのだろう。命がけで逃げて来たのだから、そんなことを気にしている暇もなかったのも想像に容易い。
八七と葉月、そして双子の四人はその場で一度立ち止まり、円を組んで最後の話し合いをしていた。
他の人間は葉月の命令で、それぞれ村の人間に事の報告と対処を呼びかけている。
「それじゃあ、私とシロさんハナさんが森に入ります。村の人にはなるべく森に近づかないようにして下さい」
「分かりました」
八七は頷く。シロは真剣にその話に耳を傾けていたが、ハナは特にその話を聞いてはおらず森の方を眺めている。
「シロさんとハナさんはそれぞれ術は使えますか?」
「今日はハナと一緒なら一回です。あとは吸血鬼と相対した時に使用してしまいました」
「そうですか。それじゃあ最悪の場合は私が吸血鬼と戦います。シロさんとハナさんは探索を中心にお願いします」
「はい。ちょっとハナ聞いてるの?」
深刻な状況なのだが、ハナは未だに森を見ているだけでやる気のかけらも感じられない。
それを諌めるシロだがハナは突然森の方を指差した。
「何か来るよ」
「え?」
シロは森の方へと視線を向ける。葉月も同じように視線を森へと移した。
だが、森から何か来る気配は感じられない。八七は背伸びして奥の方を見ようと試みていたが、それでもその先には何もないようだ。
「ハナ。もしかして『視えた』の?」
「うん。これはたぶん……」
「あ!?」
そう言いかけた時、八七が声を上げた。
「誰かやってきます!」
葉月も八七と同様に背伸びをする。
「誰でしょう? 村では見ない顔ですが……」
「何か背負ってますよ!」
葉月と八七にはようやく何がやってきたのか見えてきていたが頭一つ分違う双子には一体何が来ているのかまだ見えなかった。
しかし、茂みが動き出し、やがてそれが目の前にまでやってくる。
「どうやら抜けたみたいだな」
「見ればわかる……が、まあ最悪だよなぁ」
一人の少女を背負った二人組の男。片方の男は森を抜けた事を言っただけだが、もう一人は状況を把握してしまったようで溜息をつく。
「なっ!」
シロは絶叫をあげる寸前で声を押し殺した。だがあまりにも劇的な再会のために目を見開いたまま硬直する。
「やっぱり」
逆にハナは納得しているような口ぶりだった。
「お二人方の知り合いですか?」
まるで警戒せずにのんきにそんなことを聞いてくる葉月。
「ツバメちゃん!」
八七は男が背負っている少女に駆け寄る。
「で、どうする?」
「さぁどうするか。いきなり一番会いたくない奴らに会っちまった訳だから」
二人組の男達、疾風と青年はどこか投げやり程度に呟いていた。
一期一会の出会いで再会した者達。
そこで奏でる騒乱はこの闇久の開幕序曲の様に鳴り響く。
騒々しく……
儚げに。
闇久の糸〜六章「期会騒乱・3」〜終
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