生前回帰・3


「名無し! そっちに行った!」
 疾風の声が鋭く向かいの青年にかけられる。
「……」
 青年は、うつろな表情とまるで生気のない動きで、疾風の逃がした飛来する何かの前に自分の体を晒した。
「!」
 次の瞬間、青年の胸は貫かれ、紅い血が背中から噴き出す。
 しかし、飛来する何かまでは貫通することはなく青年の左腕で止められていた。
「……ごほっ……」
 青年の肺が潰されたことによって口から血が吐き出され、飛来していた何かにその血がかかる。
 だが、青年はそんな血を見ても、どこか気怠そうで、まるでその血が他人のものでも見ているかのようだった。
 そして、血を吐いた事など気にもせず、青年は右手に持っていた刃を、飛来してきたものの側面に突き刺す。
 岩の様な光沢を持ちながらも、青年の刃は何の苦もなく根本までそれに突き刺さった。
「ギシャ!」
 蟲のような鳴き声を上げて暴れ始める。だが青年の左手がそれを制し、刃を持った右手もそのままだ。
 そのため、暴れる事に刃はめりこみそいつの死期を早める。
「ギャ……」
 それの動きは急速に遅くなり、そして動きを失った。
「死んだか」
 疾風は一部始終を見た後青年に近づいてくる。
「ああ」
 刃を抜き取り、それを地面に落とす。大人の頭ほどの大きさを持ったそれは、岩だった。
 しかし、硬質的な表面にはわずかに見える瞳と口がある。手も足もないそれは、地面に転がっていると本当にただの石にしか見えない。
つぶてがここまで大きくなれば、確かに面倒だよな」
 疾風と青年は、ある村の依頼でこの礫を殺しに来ていた。礫は、本来道ばたの石程度の大きさで、移動する際は高速で飛来する。
 しかし、止まることは出来ないので、何かにぶつかって止まるのだ。その小ささ故に普通の人間には見えず、突然何かにぶつかったと思って辺りを見渡しても、石ころしか見えない。そんな不可思議な思いをしたという人間はこの礫が原因だと言われ、二度とそんなことにないようにと、その石ころを投げるのが習わしになっている。
 今回この礫はあまりも大きく、飛来したときに運悪く人に当たり、人を殺してしまった。頭一つ分の大きさの礫が高速で飛来するのだ。ぶつかったものはとてもではないが、耐えることなど出来ないだろう。礫の強度は姿見通りに石並みなのだ。
 しかも、あの礫はかなり頭も良く、青年が進路を邪魔したときは自分の体を一時的に変化させ、鋭い角を作り出していた。
「で、お前は?」
「……死んでない」
左胸を軽く疾風に見せるが、確かに貫通していた胸は塞がれており、既に血は止まっている。
「相変わらずとんでもない回復力だな」
 疾風は感嘆した。吸血鬼の回復力もすさまじいが、彼の回復力はそれ以上だ。
 しかも、吸血鬼は深手を負うと、あまりの激痛に身動きが取れなくなる。
 疾風も一度左胸を貫かれた事があったが、あまりの痛さに回復するまで気絶する事さえ許されなかった事を覚えている。
 吸血鬼の能力は、確かに通常に人間よりも数倍高い。だが、その能力は当然、不都合を持っている。
 運動神経などが高い代わりに、痛覚も尋常の人間よりも研ぎ澄まされており、人間の感じる痛みの数倍の痛みを感じるのだ。
「……また死ねなかった」
 青年は呟き、刃を腰の縄に適当に引っかける。疾風のツケで買った服は今や血だらけだ。今月に入ってこれで三着目なのだが、青年は死ねるかもしれないと思って怪我をしたがるために、すぐさま服がボロボロになってしまう。
「まあ、このくらいじゃ死ねないだろうな」
 礫を落ち上げて肩に担ぐ。これを持って村に戻れば依頼は完了し、報酬を貰うことが出来る。


「飲むか?」
 不意に青年は自分の左腕を疾風に差し出す。そこには胸を突き刺されて流れ落ちた血が滴っていた。
「いや、そう言うのは飲まないんだよ俺は」
「……分からない。なんで俺から血を吸おうとしないんだ?」
「そう言う安易な方法で俺は生き続けちゃいけないんだよ」
 礫は予想以上に重く、姿勢を少しでも崩したら倒れてしまうほどだ。慎重に足を上げて歩を進める。
「俺は、馬鹿みたいに生きようとして、それでも生きられなくて必死で命乞いをしながら、無様で惨めな死を迎えるまでは、人には迷惑をかけないって決めてるんでな」
「……やっぱり分からない」
「お前に分かってもらおうなんて思っちゃいないよ。こんなでも、生きていたいからな」
 くだらない会話をしつつ、不死者と吸血鬼は村へと戻っていった。


「これで当面の旅費は稼げたが……」
 自分の財布を確認し、疾風は舗装された道を歩く。この場所は都に近く――とは言っても大の大人が一週間ほど歩いて辿り着くくらいの距離は離れているが――道がきちんと存在していた。
数ヶ月ぶりにまともな道を歩く二人の足取りは軽い。ついでに、青年の胸の傷はとっくの昔に跡も残らず既に完治していた。
「大して金なんて使わないと思うが」
「まあ、お前の服みたいな消耗品ぐらいだけどな」
 二人は特定の宿に泊まると言ったことはせず、いつも野宿で過ごしてきている。
 食料も現地調達なので金もかからず、疾風の財布には結構な額の資金が存在するはずだ。
 しかし、最近は青年の服代で結構な額を使っている。
「さてこれからどうする。南の都に行くか、北に行って蝦夷にでも渡るか。それとも、ちょっと海を渡って天沼島にでも行くか?」
 すると急に青年が立ち止まった。
「島は嫌だ」
「ん?」
「島は……嫌だ……」
 突然、青年は俯く。疾風はなに事かと思って青年の顔を覗くが、その感情は読みとれない。無表情……だが、どこか複雑な感じだけが見て取れる。
「お前が人の意見を否定するなんて珍しいな。泳げないのか」
「溺死しようとしたのは三回」
「そうか。けど、なんで島が嫌なんだ」
 最初、何も言わない青年に疾風は、また記憶を失っているのかと思った。

 この数ヶ月、彼の話を聞いていくうちに、彼はいくつかの記憶を『欠落』させていることが分かったのだ。
 意図的に忘れたわけではない、完全な『忘却』。長い時間生きてきたためか、脳の記憶容量が限界に来ており、ごく最近のことや生活に必要な記憶は思い出せるが、遠い昔…それこそ彼がどうして不老不死になったのかと言う部分は見事なぐらいに欠落していた。
 しかし、その話をするとどうも青年の精神が情緒不安定になるので、最近ではあまりこのことには触れてはいない。
 だが、すぐに青年が何かを怖がっているかのように震えだしたのだ。

「おい!どうした」
「分からない。何か思い出せそうだけど、すごく怖い。死ぬのは怖くないのに思い出そうとする事は怖い。すごく、怖いのにすごく悲しい……」
 弱々しい声でそこにうずくまる。今までにない青年の行動。
 それは、言わば不老不死になったときのことを語らせようとする時に似ていた。
「行きたくないのに行きたい。行ったら後悔するけど行きたい。何だろう? 自分でも分からない」
 少し落ち着いてきたのか、震えは止まった。疾風は安堵して、青年をゆっくり起こす。
「どうやらこの先の島で、お前は何かをしたらしいな」
「そうかもしれない」
 疾風の言葉に青年は頷く。
「たぶん、俺がまだ不死者じゃなかった頃の事だと思う」
「思い出したのか?」
「いや、そう感じただけ」
 島があるであろう方面を見つめ、拳を握る。その拳は力強く握られており、指は白くなっていた。
「じゃあ行くか、その島に」
「…………」
 疾風の申し出に青年は答えなかった。まだ迷っているのだろう。
 何しろ最初に島は嫌だと言ったのだ。
 それに、ここまで拒否することは初めてだったので、その否定がどれほど強いものなのか……疾風には想像も付かない。
「島に行けば死ねるかな?」
そう青年は疾風に訪ねた。どちらかと言えば肯定の意見が欲しかったのかも知れない。
 疾風もそれには気づいた。ここで自分が否定すればたぶん青年は行かないと言うだろう。
 結局、最後の処で青年は疾風に託したのだ。


「たぶんな」
「……なら、行く」
 躊躇のない疾風の返答。最初からもうあの島へ行こうと決めていたのだ。
 そのことは青年も分かっている。青年はただ同意が欲しかっただけ。最後の一押しが欲しかったのだ。

「じゃあ、船を探さないとな」
「泳いでいけばいいんじゃないのか?」
「そんなに距離はないとしても濡れるのは嫌だろ。せっかく服買い換えたのに」
「俺は別に構わない」
「そりゃ、そんな血まみれの服着てりゃあそうだろうけどな。俺は吸血鬼だから水には弱いんだよ」
 元来、吸血鬼は水に弱く、他にも銀や日光に弱いと言われている。
「……難儀な体だな」
「お前にだけは言われたくないけどな」
 先を歩くと海が見えた。そして、その先の肉眼で捉えることの出来る距離に目的の島がある。
「俺は死ねないだけで、普通の人間と変わりない」
「そこが問題なんだろ、そこが。死ねない人間なんているかよ」
「ここにいる」
「……聞いた俺が馬鹿だったよ」
 しかめ面で、疾風は海の向こうの島を見る。距離はさほど離れていない。
 確かに泳いでいけない距離ではないが、敢えて泳ぐ必要もないだろう。
「どっかに船着き場があるんじゃないか?」
「あそこかな?」
 指を指した先には、確かに船が何艘か並べてある場所がある。数人の人間もいるので話も聞けそうだ。
「みたいだな」
 疾風は頷く。
 二人はその場所へと向かっていった。


 糸はゆっくりと手繰り寄せられる……

 死にたがりの吸血鬼も

 不死者も

 狂気の吸血鬼も

 双子も

 それはその誰にも気づかれずに

 ゆっくりと……

 ゆっくりと…………

闇久の糸〜三章「生前回帰・3」〜終
 

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