生前回帰・2


都。
 この国を統治するために作られた場所。
 それは、決して貴族やそれに従う従者達を守るために作られたのではなく、それは「天皇」を守るためだけに作られた。
 全ては、天皇を守るために民衆や貴族、そして、天皇の親族すらも利用して作られたのだ。
 「天皇」にはそれだけの価値がある。彼は人ではない。人が生み出した「神」なのだ。
 人は、それを守るために何の疑問も持たない。命の価値は平等だと言うが、「天皇」だけは違う。
 その生は、その価値は、何百、何千の人間でも贖う事は出来ない。それが「天皇」であり「人神」と言われる由縁だ。

 帝の謁見の間である内裏の奥深く、そこに二人の巫女が膝をついていた。巫女の二人は非常に奇妙な存在で右の彼女と左の彼女、何一つ違えたところがないのだ。
 まるで鏡を合わせたかのように寸分の狂いもない。
「陰陽寮、司、呪院のハナ。帝の詔勅により参りました」
「陰陽寮、司、呪院のシロ。帝の詔勅により参りました」
 その声の発した間合いも同じだ。ただ、違ったものは彼女たちの名前だけ。
「来てくれたか。ハナ、シロ」
 二人と帝の間には簾が垂れており、二人から帝を見ることは出来ない。
 だが、二人には関係のないことだった。帝がそこにいる。それだけでも十二分に畏れ多いことだ。
「君たちに来てもらったのは、僕の憂いを取り除いてもらいたいためだ」
 帝の声は若い男の声であり、特に大きな声を上げているでもない。
 だが、その声は部屋中に響き、二人の耳にも何の障害もなく聞こえる。そのため、その内容は非常に気になるものだった。
「憂い?」
「帝。御身が憂いておられるなど一体、いかなる事態が……?」
 二人は少なからず困惑する。帝の憂いなど想像も出来なかったのだ。
 帝は生まれ落ちた瞬間から人と神の間の存在であり、全てが手中にあると言っても過言ではない。
 そんな存在が何かの悩みを持つなど、二人にとっては驚き以外のなにものでもなかった。
「ふふ、私とて憂いを持つこともある。そして、この憂いは先の帝も悩んでおられたこと。
 いや、四百年前からその時代の帝は悩み続けたことだろう」
 帝の声が、突如女性のものと変わる。まるで、歌っているかのような心地よい声色だ。
 歌の一つでも読めば、世の男性は一瞬で虜にしてしまうだろう。
「朕とて先代と変わらない。そして、神と言えど今と過去は知り得ても、未来を見通す力はないのだ」
 今度は男性の声だ。帝の声は、息継ぎ事に変わっているようだった。
「帝。その憂い、私達が取り除くことが出来るなら」
「この身命を賭して、その命、果たしてご覧にいれます」
 二人の覚悟はこの場に呼ばれた事で既に決まっていた。いかなる任務でもそれを遂行するためなら命をかけると。その事に揺るぎはない。
「そうか。そう言ってもらえると俺としてもありがたい。そなた達のような家臣がいることが、俺の誇りでもあるからな」
 帝の口調は再び変わるが、それはどこか人懐っこい口調だった。
「それでは話そう。わしの憂い、そしてそなた達の任を」
 帝の言葉はそこで急激に冷えた様な気がした。

 帝の勅令を聞いた後、二人はその場を後にして陰陽寮へと戻る。
 陰陽寮には二種類の意味があり、まずは部署の意味である「陰陽寮」。祭事の行いや吉報を占う呪術集団のことだ。
 前天皇までは、六人でそれに関る行いを続けてきたが、現在の帝に替わってから『力』を持つものは、陰陽寮に入ることが出来るため、現在三十一人がこの陰陽寮に所属している。
 そして、もう一つは場としての『陰陽寮』。内裏に存在する陰陽寮に所属する人間が集まる場所のことだ。
 この二人、ハナとシロもその力を見込まれて陰陽寮に籍を置いている。
 籍を置いている以上は、何かしらの事に従事しているのだが、二人は特に術の開発について大きく貢献している。現在では代償が低くそれでいて強力な術の開発を現在続けている。
「ハナ。帝の命のことだけど」
「うん。ちょっと分からなかった」
 歩きながら首をかしげる二人。当初は帝の命と聞いて、内心驚きと緊張で帝の声など聞こえていなかった。ただ舞い上がって

(私たちの目の前に帝がいる!)

 と、こんな事しか考えてはいなかったのだ。途中で

(何で声が変わるんだろ?)

 などと普通に思い始めたが、その頃には既に帝の命が出された後だった。
 しかも、帝は緊張していた自分達を察し、命令をもう一度説明してくれたのだ。
 正直、二人は気恥ずかしくなって、その後は何の疑問も浮かべずに、ただ帝の言葉を一言違わず記憶することにした。
 そしてその命の内容は完璧に覚えたのだが……。
「正直私も分からない」
「シロが分からないなら私も分からないよ」
 溜め息以外に出るものはなく、二人はそれを実行するしかない。
『はぁ〜』

 私の憂い。それはある村の人々のことなのだよ。

 四百年前からあるその村には、ある不可思議な呪いがかけられている。

 その呪いは、いかなる術者でも払うことは出来なかったの。

 その呪いについて僕が語るのは、少々心苦しい。

 だから、君たちには実際に村に行き……そして、確かめて欲しい。

 それに呪いの原因はあまりにも悲しいことだが、どうか受け入れて欲しい。

 そして、出来る事ならばその悲しき呪縛を解き放って欲しいのだ。

 四百年も続いているこの辛い呪縛を……。

「何故帝はたった一つの村にあれほど憂いているのかしら?」
「うん。私もそれが分からないよ。確かに何かの呪いがかけられているのはとっても大変なことだけど、帝がそんなことを気にするなんて」
 だが、二人は同時に帝の優しさにも触れていた。上の人間は何かを切り離して考えなければ、大きな屋台を動かすことは出来ない。ましてや、その国の要である帝が感情など持ち合わせていては、直ぐに矛盾が生まれ、国自体が崩れていくだろう。
 そんな帝でも、村一つであれほどの憂いを持つのだ。それに、自分達はそんな事を考える必要など無い。
「でも。私たちは帝の命令を遂行するだけだからね」
「そうだね。それに別に誰かを不幸にするようなことでもないし、いい事をしに行くんだから、そんなこと気にしなくたっていっか」
 二人は頷く。二人にとって、命令の真意などはどうでも良いことなのだ。二人が行うことは命令の遂行。それ以外は必要ない。
「正直、帝に誰かを呪え〜。なんて言われたどうしようと内心緊張だったよ」
「ハナ。あんた帝に対してそんなこと考えてたの?」
「シロだって思ってたじゃん」
「あんた。『力』使ったわね?」
「ううん。言ってみただけ」
 そう言ってぺろっと舌を出す。カマをかけられたと気づいたシロはハナの頬をつねる。
「こ・の・悪い・子・がぁ〜」
「い・痛いよシロ。ちょと本気だよ〜」
 泣き言を上げるハナに、取りあえず気が済んだシロは手を離す。
「うう〜、乙女の柔肌を汚された〜」
ひりひりする頬をさすりながら、ハナは恨めしそうにシロを見る。
「しょうもないこと言ってないの。それより早く準備しなきゃ」
そんな目には当の昔に慣れているシロは、冷たくそう言って陰陽寮の自室へと向かう。
 これから、帝の従者が目的地の場所を教えに自分達の部屋にやってくる。それを渡された後に、彼女たちはその村に向かうつもりだ。
 帝は「君たちには実際に村に行き、そして確かめて欲しい」と告げた。ならば行くだけだ。
 いかなる障害も悲しみも全て乗り越えてこの任務を達成させよう。
 

 ――二人なら、どんなことでも乗り越えられる。


 シロはハナを見つめた。どちらが姉でどちらが妹か考えたことはない。
 二人は全て同じで、これからもそれは変わらない。そして、もしどちらにも割り切れぬものが出来たら、シロはハナにあげようと心の中で誓っていた。それは何時になるかは分からない。
 もしかしたらこの任務でその運命が待ちかまえているかも知れない。だが覚悟は出来ている。
 シロの目線が続くのでハナは首をかしげた。
「どうしたのシロ。私の顔になんか付いてる?」
「……ううん。何でもない。ちょっと考え事」
「私の顔を見て考え事何てしないでよ」
「そうね。ハナの顔なんて見てたら、考えもまとまらないものね」
「うわぁ、すごい失礼な発言。じゃあ鏡見ても考えまとまらないね」
 そう言って二人は笑う。顔も思いも力も全てが同じ二人。ただ、二人にはそれぞれ一方の片割れに内緒にしていることが一つだけあった。

(……お姉ちゃん。駄目だからね…………)
 それは誰の思いか分からない。シロの思いか、それともハナの思いか。それは分からない。
 だが、ただ言えることはこの二人は決して片方を裏切らない。それだけだった。

 そして運命の場へと二人は旅立つのである。
 片割れを失う悲しい場所へ……

闇久の糸〜二章「生前回帰・2」〜終

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