「これが……あいつらの目的か…………」

 青年は眼下の景色を眺めていた。

 彼が見ている光景。それは地獄を召還したかのような光景で、悲惨という言葉では決して語り尽くせぬものだった。見渡す限り人が死んでいる。血を流し、体を切り裂かれ、槍で突き刺され。それが地平線まで続き、一体どれほどの血がこの地に流れているのか想像するのもおぞましかった。

「ああ……馬鹿な奴らだ…………オーパーツを…………それも世界に七つしかないオーパーツの一つを無駄にしやがった…………」

 後ろにいた同世代の男が腹を抑えながら、そう呟く。彼の目からはその光景を見ることは出来ない。だが、彼にはその光景がはっきりと見えていた。魔法使いである彼にとって、光の屈折率を変えることなど、造作もないことだ。その力を利用して彼はこの崖の下に広がる惨劇を目の辺りにしていた。

「半径数キロ…………死の土地の出来上がりだ。あいつは何を思ってあのオーパーツを使ったと思う? 『全ての生き物を生かさない』だとさ。人は疎か犬猫、植物まで見境無しだ。まったく傑作にもほどがある」

魔法使いは笑いだすが、その笑みは痛々しい。腹部からは赤い液体が流れ続け、それをどうにか手で押させて留めているのだ。しかしその大きな手でも出血を免れることは叶わず、出血は続いている。

「……ああ。死体処理が面倒そうだ。何しろ腐りはしないが、近づこうとすりゃ自分が死体になっちまうんだから」

 眼下に見える死体の数を数えるのを止め、後ろを振り返り、魔法使いに近づいた。

「どうだ?」

 青年はそれだけ訪ねる。ここでの疑問は「生きるか死ぬか」の二択だ。魔法使いはしばらく目を瞑り、そして首を横に振った。

「……駄目だな。臓器をやられている。手で抑えていれば三十分。抑えていなければ十分ってところだろう」

 魔法使いだからといって万能ではない。それは魔法使いが、そしてその隣で彼を守り続けた青年が一番よく知っていることだった。

「…………そうか」

 青年はそのまま座り込む。ありとあらゆる事を放棄して、ありとあらゆることを諦めた顔をして。

「これでこの戦争も終わりだな」

 煩わしい鎧を無理矢理外す。

「……そうだな。これから起きる多くの犠牲に比べれば…………俺の命でそれが回避できたんだ。安いもんだ…………」

 魔法使いは苦痛の中で笑う。だが、青年は笑えなかった。

「結局。俺は何もかも失っちまった…………」

溜息をつく青年に、魔法使いはまた笑う。

「戦争は……常にそんなもんさ。得ることが出来るのは…………戦争に参加してない奴だけだ。なあ、煙草くれないか?」

「…………」

 青年は自分の体を探り、そして腿に添え付けてあったポケットからお目当てのものを探り当てた。

 紙ケースから煙草を一本取り出すと、青年は起き上がり、もはや体が動かない戦友の口に煙草をくわえさせてやる。

「火は自分で付けろよ」

「分かってるさ…………」

 魔法使いは器用に口を動かしてしゃべる。その直後、煙草の先から一瞬火花が現れたかと思うと、煙草から紫煙が立ち上ってきた。大きく吸って、腹を抑えていた手を離し、煙草を指の間に挟む。その表情は歪んで痛々しい。ただそれは腹の痛みだけではなかった。

「まずい煙草だな。なんだこれ?」

「レッツァの煙草だ。この国じゃ嗜好品なんてもう作ってないんだよ」

「末期の煙草には最悪だな」

 そう言いながらも魔法使いは再び煙草を口に加えて大きく吸った。

「………………」

 青年はその紫煙を眺めていた。

「………………」

 魔法使いはどこか虚空を見つめている。

「結局残ったのは俺達だけか………………」

「そうだな。この戦場で生きられたのはたぶん俺達だけだ」

「探す必要は…………ないか」

 再びあの戦場を眺めることが億劫になり、青年はそう言って、自分を納得させる。生きているものが存在できない大地で生きている奴を探すなど不毛でしかない。

「そういや、遺言がまだだったな…………」

 魔法使いは突然思い出したかのようにそう呟くと、青年を見つめた。

「なんだよ? 財産を俺にくれるのか?」

「お前には絶対にやらねえよ。あるなら……そうだな。行きつけの娼館に全額寄付する」

「それだと娼婦が全員国に戻っちまうだろ」

「ああそうか。迂闊だった。じゃあ花屋のジニーに贈る」

「誰だよそれ」

「俺の心の愛人」

「一生言ってろ」

 あきれて青年はそう言った。魔法使いのこの手の冗談のセンスの無さは折り紙つきだ。

「まあ、冗談はこれくらいにして、面倒なら無視してくれても構わないが、俺の家には地下への隠し扉があるんだ」

「そんなのあったのか?」

 青年は一度魔法使いの家を訪ねた事があったが、そんな物を見つけることが出来なかった。

「隠し扉だからな。それにあの時は魔法で隠してたから。まあ、お前じゃ見つけられないさ」

「煩い。それで、そこには何があるんだ?」

「面白いものがある。とだけ言っておくさ。それをどうするかはお前が決めてくれ。たぶんお前は放って置けないだろうがな」

「なんだよそれ」

 なにやら予言じみた発言だった。魔法使いが時折そんなことを言うのだが、その全てが彼の言う通りになるのだ。魔法使い自身は過去を見れば未来を予測することなど簡単だとは言っているが、青年にはそれが信じられない。

「見てのお楽しみだ」

「…………そうか…………後やり残したことはないか?」

「いや…………ないな。俺は満足だ。死ぬには良い日だ」

「そうか…………」

「ああ、最高だ…………」

 煙草をもう一度吸うと、それを青年に向かって投げ捨てた。

「!」

 青年は驚くが、反射的にそれを器用に指で挟んでしまう。

「何するんだ…………」

 抗議しようと顔を上げる。

「……………………」

 目の前の魔法使いは目を瞑り、眠っていた。穏やかに、どこか微笑みながら。しかし、彼は眠っているのではない。もはや決して起きぬ眠りに彼はついたのだ。

「おい…………」

 青年は言葉をかける。だが、やはり魔法使いはしゃべらない。

「………………」

 それを呆然と見つめ、青年は立ち上がった。死の大地を見つめながら、魔法使いが吸っていた煙草を吸う。

「………………」

 煙草は血の味がした。

「………………」

 煙草を崖に投げ捨てる。

「………………」

 青年はそれを見届けると、頭を垂れる。

 戦争が終わったのだ。そしてやはり自分は何もかも失ってしまった。


 青年は顔を上げて、息を吸う。終わりを告げるために。自分に出来るのはもはやこの程度でしかないことを悟りながら。

「うわああああああああああああああああああああ!」


 叫ぶ。叫ぶ。叫ばなければならなかった。ただ叫ぶことで、己の内にある感情を捨て去るように、ただ叫ぶ。  叫ぶ。嘆きも、悲しみも、悔しさも、怒りも、何もかもを捨てようと叫ぶ。

 感情も、記憶も、武器も、防具も、己自身さえも捨てるように叫ぶ。

 戦争が終わったことを告げるその慟哭は、死者と傷ついた存在しかいないこの大地に突き刺さるように木霊した。

 聖暦一六四四年。大陸の三分の二を巻き込んだ大戦は正式に停戦が結ばれた。誰もがこの大戦の終わりを喜んだ。人が戦争で殺すことも殺されることも無くなったのだから。そして人々は新しい戦いを始める。戦争によって失ったものを取り戻す戦い。そして、新しい時代を作る戦いに。誰も留まることはできなかった。時代の流れがそれを許さず、人々を突き動かしたのだ。止まることの許されない流れは、激しくも優しく人々の傷を埋めていくことになる。

 そんな戦争の終わりと始まりに、一人の魔法使いの活躍があったことを、人々は語ることは無くとも、誰もが知っていた。

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