第二話、櫻の森の満開の下

 桜の花の下に人の姿がなければ恐ろしいばかりです。
坂口安吾「桜の森の満開の下」より
 
 そこは、桜の海だった。見渡す限り桜が続き、息する暇もなく花吹雪が舞い散る。幻想的な光景に思わず溜息が漏れた。
 もしも自分に詩の才能があれば歴史的な作品を作れるに違いないと思う。もしも自分に絵画の才能があれば億の値のつく絵が描けるだろう。しかし、自分にはその才能がない。全く持って残念なことだ。
『花びらが邪魔だな…………』
 そして、その一言で現実に引き戻される。
「セツ〜今、感動している所なんだから変な事言わないでよ」
 少年とも少女とも言えそうな声でその人は呟く。彼(彼女)の周りには人はなく、誰かが話しかけてくるといったことは無いはずなのだが、彼女(彼)は自分の肩に乗っている雪だるまを見つめた。
『ん?私は見たままを言ったまでだが』
「情緒ってものがないんだよセツは…………」
 ふて腐れながら彼(彼女)はもう一度辺りを見渡した。
「桜の森か…………」
 彼女(彼)の名前は隆g唯。魔術使にして現存する数少ない錬金術士の一人。そんな彼(彼女)は今、桜の森の下にいた。
 
 てくてくと唯は歩く。しかし桜の森は抜けるどころか唯を誘っているかのように、深くなっていく。
「…………」
 しかし唯は歩く。
『なぁ、唯』
 唯の肩に乗っているホムンクルス、セツはくるりと唯の方へと体を向けた。
「…………」
 しかし唯は黙って歩き続ける。
『一つ聞きたいのだが…………』
「…………何?」
 足を止めて、セツの方に顔を向ける。
『…………道を知っているのか?』
「…………………………」
『何故顔をそむける』
「…………拙者には何の事やら…………」
『つまり迷ったのだな?』
「…………まあ、そうなるかなぁ」
『………………』
「に……睨まないでよ」
 ちなみに雪だるまのセツに表情の変化はない。
『睨んではいない。呆れているのだ。全く自信満々に歩いているからてっきり出口を知っているかと思ったが、確認しない私も落ち度だった。それよりどうするのだ…………』
 セツは辺りを見渡す。
『この森を抜けないと宿にもありつけないぞ』
「まぁ、いざとなればここで野宿すればいいし」
 気楽にそう言い放つ唯に、セツは溜息をつく。
『はぁ…………剛胆と言うか無神経と言うか…………」
 半場以上諦めたように呟く。と、その時前方で音がした。
「ん?」
 唯はそちらに視線を向ける。桜の木が邪魔で前はよく見えないが、音は確かに前方に何かいることを示している。
「何かな?」
『人か獣か…………』
「獣って……こんな場所に虎とかはいないよ」
『熊はいるかもしれんぞ』
「…………」
 血の気が引く唯。
「いざとなったらセツを犠牲に…………」
『聞こえているぞ』
「……拙者には何の事やら…………」
『その冗談は聞き飽きた。それより』
 地面に敷かれる桜の花びらを踏む音。舞い散る花びらで視界は悪い。そして、唯の目の前に…………
「何してるんだい?こんな所で」
 初老の男が佇んでいた。
 
「ほ〜旅を」
 初老の男は名を宇敷浩介というそうだ。
「はい」
 素直にそう答え唯は頷く。
「浩介さんはどうしてここに?」
「儂か。ここの桜と儂はどこか似ている気がしてね。時折こうやって奥の方まで出歩くのさ」
 浩介はどこか寂しげに呟いた。浩介の風貌は見窄らしく一目でホームレスだということは予想できる。しかし、そのためその表情を窺うことは難しい。
「似ているんですか?この桜と」
 唯は辺りを見渡す。桜は何も語らずただそこに美しい花を咲かせているだけだ。
「ハハ。私が一方的にそう思ってるだけさ。外見はともかく、この桜たちはどこか寂しげ何だよ」
 そう言って、彼は桜を見上げる。唯は桜を見るのは止めて浩介を見ることにした。特に何かに困っているといった感じではない。だが、どこか決定的に欠落しているような危なげさを彼には感じる。
「さて、儂はもう少し奥に行くがお前さんはどうするね?」
「えっと、僕は出ます。あちらに進めば良いんですよね?」
「ああ。そうすれば民家に行けるはずだ」
 浩介は大きく頷いた。
「それじゃあ、ありがとうございます」
「何、礼にはおよばん。それより気を付けた方がいいぞ。この桜は人を食うと言われているから」
「人を食べる?」
「ああ。何しろこの森は元々桜など一本もなかったのだから」
「一本も…………」 
 唯はこの森を見渡す。しかしこの森全てが桜であるのにここに桜など無かったなどとはとても信じられない。
「最初、この森には桜の木が一本しかなかった。しかし、年を重ねる事に一本一本と増えていき、そしてこうなってしまったというわけだ」
 浩介は別に嘘をついているわけではないらしい。それに唯は一応魔術使という現実ならざるものに身を置いている存在だ。その話が嘘だと否定しきることも出来ない。
「本当なんですか?」
「さあてね。しかしそのせいで村人も滅多にこの森には近寄らん。何でもこの桜は人を養分にしているらしいからな」
 浩介は後ろを向く。
「ま、とにかく気を付けて帰ることだな」
 手を振って森の奥へと消えていった。
 
 それを見送る唯。そして
『何だったのだ?最後のあの話しは』
 今まで黙っていたセツはそう呟く。
「う〜ん、何だろうね?」
 桜は何も語らない。だが、先ほどに比べるとその色はどこか恐ろしげに見える。
『桜の下には死体が埋まっているなどとよく言うがその類の迷信だろう』
「まあ、そうだろうけど少し気になるね」
 唯は背負っていたバックを下ろす。
『何をする気だが?』
「ちょっとだけ桜を調べてみる。浩介さんが嘘をついているようには聞こえなかったし」
 バックからいくつかの機材を取り出し準備をする唯。そしてそれを嘆息してセツは見ていた。
『全く。それよりも早くこの森を出た方が得策だと思うのだがな』
「大丈夫。いざとなればここで野宿すればいいし」
 そう呟く唯を諦めたようにセツは見ていた。
 
 …………それはその場を埋め尽くすほどの桜の花だった。
 
 今、自分は何を見ているのか。
 最初に浮かんだのはそんな些細な事だった。しかし直ぐにそんなことなど目の前の景色によって忘れてしまう。
 この場を一言で表現するには一体どんな言葉が必要なのか。
 
 蠱惑……………………
  壮麗……………………
   醜悪……………………
    妖艶……………………
      狂気……………………
       幻想……………………
  
 どの言葉も当てはまるしどの言葉も当てはまらない。ならばこの場は「混沌」こそが相応しいのか。
 桜は、何も語らず、男を見下ろしているのみ…………
      
 土を埋めていくと桜の花びらが混ざる。だが、そんなことは気になどしない。どうせこの場に人は来ない。ならばこの作業を目にする人などいない。
 浩介はただ黙々と先ほど開けた穴を埋めていく作業に没頭していた。後ろに唯が立っていることなどまるで気づいていないかのように
 
「浩介さん」
 唯は呟く。そこで浩介の手は止まった。
「帰ったんじゃなかったのか?」
 別段驚きもせず、浩介はそう呟く。
「はい。そのつもりでしたが、事情が変わりました。浩介さんにいくつか質問をしたいと思ったので」
「質問か…………儂に答えられることだったら答えよう」
 そう言って浩介は唯の方に振り返る。
 
「それじゃあ、答えて下さい。浩介さん。今埋めているその死体は一体何なんですか?」
 
 風が吹く。
 花びらが舞い、二人の間を訳隔てる。
 
「…………もしかしたら、この桜の木は全部死体の上に咲いているんじゃないんですか?」 なおも質問を重ねる唯。しかし浩介の表情に変化はない。
「…………最初の質問から答えよう」
 手に持ったショベルを土の上に突き刺す。
「この死体は先日死んだ儂の仲間だ。死因は心筋梗塞。良い奴じゃったが、死ぬのはあっという間だった。嫁も息子もいると言っていたが、結局現れないまま儂が亡骸を引き取った…………」
 乾いた声が何故かやたらに響く。
「そして次の質問じゃが、答えはその通り。この桜の木の下には必ず一人の死体が埋まっている」
 まるで当たり前のように浩介は語る。桜は何も語らない。だが、何かを語り対と言いたげに花びらを散らす。
「この場所は不思議な場所なんじゃよ。死体を埋めると次の年に桜を咲かせる。儂は死んでいった仲間や身元のないまま行き場所のない死体をここに埋めていった。そして出来たのがこの森だ」
「……………………」
 黙ってそれを聞く唯。そして熱っぽく話す浩介。二人は今対照的だった。
「皮肉な話しだ。生きている間は誰にも相手にされず、そして死んで桜になっても噂のせいで誰も寄りつかない。これほど美しい桜だと言うのに」
 口惜しそうに浩介はそう語る。確かにこの桜は美しい。しかしどこか寂しい。それは見る人を離さないとでも言いたげなもの悲しさ。人はそれに恐怖を持つのかもしれない。
「…………それじゃあさっき自分とこの桜が似ているというのは」
「そう、真実その通りなのだよ。儂とこの桜は何も変わらない。ただ語るか語らないか。それだけじゃ」
 浩介は笑う。寂しそうに小さく。その笑みはこの桜に似ているようだった。
 
 
「…………………………」
 森を越え、唯はアスファルトの道を歩く。
『あの男。あのままにして良かったのか?』
「良かったのかって、だって僕があの人を止めること何て出来ないよ」
 とぼとぼと歩く。
『しかし、あれほど野宿でもいいと言いながらそそくさと出て来たな』
「そりゃあね。だって…………」
 後ろを振り向く。桜はもう見えないが、何故だがそこに桜の花びらが見えるような気がした。
「あそこにいたら、寂しくて死んじゃいそうだよ…………」
 もの悲しく、唯は笑みを浮かべた。
 
 後に花びらと冷たい虚空がはりつくばかりでした………………………
「桜の森の満開の下」より

第二話終わり


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