第一話、ツヴェト・ザカータ


創造主への報告書Vol,78

今日、先日報告した自殺志願者を唯が救った。私には理解できない範疇の事だったのだが
どうやら唯はうまく志願者を助けたようだ。しかしあのような錬金術士にとって初歩とも
言える物質で自殺者を止められるのだから人間というのはつくづく分からない生き物だと
私は思う。こんな事を話すと創造主は「君がまだ未熟だからだ」と笑って言うだろうと言うことは
目に浮かぶ。それはさておき今回唯が使用した物質については以下の報告に記載しておく。

追伸、唯が最近ますます私を敬わなくなってきている。創造主からも何か言っておいてくれないだろうか?
 唯がああなってしまったのは創造主が原因でもあるのだしもう少し唯には………………


 学校の屋上。もうすぐ夜が訪れるであろう逢魔が刻に、一人の少女がそこで校庭を見ていた。
フェンスを乗り越え、もしも一歩前に出れば命を無くして仕舞うであろうその場所で少女は
虚ろに校庭を見ている。
 華奢な体つきで肌は白くどちらかと言えば運動をしているという感じはしない。
彼女のしている眼鏡の影響もあるのかもしれないが図書館で本を読んでいるのがとても
似合いそうだ。
 そんな彼女がフェンスに体を寄せながらも校庭を覗いている。
 校庭には誰もおらず屋上にも人はいない。まるでこの世界に彼女しかいないような錯覚さえ
思わせるほど静かだった。
(私には何もない……)
 少女は思う。
(何もなければ生きている意味なんてあるのかしら)
 校庭を見続けていると何故か屋上と校庭の距離が縮まったように見えた。
(私はどうして生きてるんだろう?)
 今日なら飛べるかもしれない。少女は風で髪をなびかせながらも未だに校庭を見ていた。
 少女は最近、いつもこの屋上で校庭を眺めていた。最初はフェンスの内だったのだがやがて
外へと出ていつの間にか自殺しようそしていた。自分でも理由はない。だが生きていく
理由もないのでこうしていつも生と死の間に立ちながらやがて生を選ぶ。
(今日なら)
 だが今日なら死へと行けるかもしれない。
 少女が一歩前に出ようとした時
「あの〜」
「!?」
 突然横から声が聞こえたので少女は思わずフェンスをぎゅっと掴みながらすごい勢いで
横の方へと顔を向けた。
 そこにいたのは少年とも少女とも言えそうな中世的な顔立ちを持った人間だった。
彼(彼女?)は少女と同じようにフェンスを乗り越え少女の横に立っていた。先ほどまで
確かに屋上に人がいなかった。しかも例え屋上に隠れていたとしても彼女が気づかない内に
フェンスを越えて横に立つなど不可能だ。
 彼女(彼?)はその場を見渡し自分がフェンスの越えた場所にいることに気づき慌てて
フェンスにしがみついた。
「うわっ!何だかとんでもないところに来ちゃったよ!?」
『「魔術」の構成が不安定だったからだ。全くいい加減な指定しかしないからそうなる』
 そして何だか慌てている。
『慌ててないでさっさとこの場所を移動すればいいだろ』
「そうだね。あ、君も危ないから離れようよ」
「え?」
 少女はしばらく考えたがどうやら自分に呼びかけているようだ。
「さぁ」
 手をさしのべられる。
「……はい」
 少女はその手を握った。

 フェンスをようやく登り切り二人は屋上の真ん中にやってくる間に空はもう暗くなっており
すでに月と星が空を支配していたい。
「紹介が遅れたね。僕の名前は隆g唯(おもきゆい)。君の名前は?」
 声を聞いても未だ性別がはっきりしない唯はそう言って笑みを見せた。
色々詰まっていそうな黒いリュックサックに肩には何故か雪だるまの人形を乗せている。
考えてみればあれだけ動いてあの雪だるまがよく落ちなかったものだと少女は思う。
「私の名前は鳥居詩織です」
「そう、じゃあ詩織ちゃんあんな場所で何してたの?」
「…………」
 詩織はそこで押し黙る。「自殺しようとしていました」なんて言えるだろうか?
『大方自殺でもしようとしていたのだろう』
 と、唯の声とは似てもにつかない声がどこからか聞こえる。
「え?」
 周りを見るが人はいない。
『どこを見ている?』
 また声が聞こえた。それは唯の方からだ。
「えっと……」
 だがやはり人はいない。幻聴にしては聞こえが良すぎる。それに詩織は幻聴など一度も
聞いたことがない。
「ああ、セツだよ。この雪だるま」
 そう言って肩に乗っていた雪だるまを手で掴むと詩織に差し出す。
『私の名はセツ。セツとはこの国の漢字と言う文字からいただいたものらしい。
私は結構気に入ってるがね』 
「…………」
 確かに声は雪だるまから聞こえた。
『どうした?感動で声も出ないのか?』
 唯の手の上に載っている雪だるまはそんなことを良いながらぴょこぴょこ跳ねている。
詩織は何を言って良いのか分からず目を丸くしながらセツを見続けた。
「機械じゃないの?」
「そうか。普通の人じゃセツを見たらびっくりするよね」
 唯はセツを再び肩に乗せるとにっこり微笑む。
「セツは機械じゃないよ。ホムンクルス。まあこの国だと『人形』って言われている
疑似生命体なんだ」
『あんなのと私を一緒にするな。私はあんな奴らのように命令がなければ生きられない
脆弱な疑似生命体とは訳が違う。自分の意志を持ち知識すら持つ存在なのだ』
「その代わり極限まで移動能力がないけどね」
『ふん。その気になれば私だって歩けるぞ』
「うっそ〜。だって三日前歩こうとして僕の肩から降りたら倒れて起きあがれなかったよ」
『あれは調子が悪かっただけだ』
 などと二人(?)の口論が始まった。
「はぁ…………」
 さっきから途方もないことが続いているような気がする。自殺しようとしたところに
突然人が現れてその後疑似生命体だが何だか分からないものに挨拶してもらった。
正直今の自分なら宇宙人でも信じられそうだ。
 だから聞くことにした。
「あなたは……何者なの?」
 さっきから口論を続けている二人はそこでぴたりと止まる。唯とセツはこちらを見た。
セツは人形なので表情は変わらないが唯はまた微笑む。どこか人を和ませるようなそれでいて
何かいたずらをする前触れのようなそんな笑み。
「……僕は隆g唯。『道化師』と呼ばれていた先生から修行を受けて今旅の途中の
魔術使の者さ」
 ああ、やはり今なら何でも信じられそうだ。

「セツさんの言うとおり、私自殺しようとしていたの……」  
 詩織は重い口を開く。何だか夢みたいなことが連続で起きたせいでいつもは話せないようなことが
話せるような気がしたのだ。
『ふむ、やはりな』
 と、自慢げにセツはふんぞり返る。しかしあまり胸を反らせるあまりに唯の肩から落ちてしまった。
「どうして自殺なんてしようと思ったの?」
 落ちたセツを拾い上げて再び肩に乗せると唯はこともなげに聞いてくる。
だが詩織の口は思った以上に軽くなっていた。もしかしたら誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。
そう自分で思いながら詩織は話を続ける。
「さあ、私にもよく分からないんです。ただ私には何もないんです。好きなことも楽しいことも。
それに誰からも必要とされていない。それが分かってから何だか生きているのが意味なんて
無いんじゃないかって思ってきてしまって」
「それで自殺を?」
「はい。でも本当は分からないんです。自分が自殺をしたいのかも。何だか分からない内に
いつの間にかフェンスを越えて校庭を見るようになってました」
『何だか分からない内に自殺とは、全く人間とはつくづく分からない生き物だな。生きる
必要性など考えるのは人間だけだがそんなに生きることに意味など必要なのか?』
「分かりません。ただ、私一人が消えても世の中はまるで変わらない。それが分かったら
何だか生きていることが空しくなっちゃって……」
 そう言って溜息をつく詩織。
「……そっか。じゃあ詩織ちゃん。自殺するの明日まで待ってくれない?」
「え……」
「詩織ちゃんに良いもの見せてあげる。だからそれまで少しだけ待っててよ」
 そして唯は立ち上がる。
「約束だからね。明日の夕方またここに来てよ」
 そう言って唯は手を振って屋上の出入り口へと消えていった。詩織はそれをただ見送る
事しか出来ずそして一人取り残されたことに気づく。
「明日……か……」
 自分には明日なんてあるのだろうか。そう思い詩織は立ち上がる。もう自殺する
気分ではなくなっていた。

『唯。どうする気だ?』
 セツは小声で唯に話しかける。いつもの音量だと唯に話しかけるとうるさいと言うことを
自覚しているためだ。一度あまりにうるさかったので唯がセツを投げ飛ばしたことがあるが
そのせいでセツの目が飛んでしまったことがある。もちろんその目はセツの創造主であり
唯の先生が直したが以来セツは二人の時は基本的には声の音量を調整している。
「どうするって何が?」
 唯は脳天気にそう聞き返す。
『彼女のことだ。自殺しようとする者を説得でもする気か』
「う〜ん、説得というわけじゃないけど止められたら止めたいね」
『しかし彼女を止めるのは至難の業だぞ。どうする気なのだ?』
「そうだね。まあ大丈夫だよ。それより材料探さなくちゃ」
『材料?錬金術を使うのか?』
「うん。『ツヴェト・ザカータ』を創ろうと思うんだ」  
『「ツヴェト・ザカータ」?。そんなものを創ってどうする気だ?』
「彼女に見せてあげようと思って」
『は?あんなものを見せて彼女が自殺を止めるとでも思っているのか?』
「そうだよ」
 そう言って唯は微笑む。
 ああ、とセツは思う。数年間唯と生活を共にしてきたが唯がこの笑みを浮かべる時、
それは全てがうまくいくという合図だ。根拠はないが嘘ではない。
『…………』
 だからセツはそれ以上何も言わなかった。たぶん大丈夫なのだろう。
 セツは空を見上げる。
 月は半月でそれでもあたりを照らしていた。

 約束の時間。とは言っても正確な時間は決めていなかったので昨日より少しだけ早めに
詩織は屋上に来ていた。だが早めに来ていたというのに唯はすでにそこにいた。
「やあ、早かったね」
 何か小さな筒のような物をその場に立てながら唯は詩織の方を向いて挨拶を交わすと
再び作業に没頭する。
「いえ」
 そう言いながら詩織は唯の作業を見続けた。唯は彼女のことを忘れたかのように作業を
続ける。筒を倒れないように固定してそしてその筒の中になにやら赤いゴルフボールぐらいの
玉を入れてひとまず作業は終わったようだ。
「一体何を見せてくれるんですか?」
 たまらず詩織は作業が終わり立ち上がった唯に聞いてみる。唯は詩織の方に振り向いて
軽く微笑むと詩織の方へとやってきた。
「見ればきっと驚くよ。僕も最初見た時はびっくりしたから」
 それだけ言い残し再び筒の方へと向かう。
『何、心配するな。調合は完璧だった。唯の想像通りに効果を発揮するだろう』
 唯の肩の載っているセツは後ろを振り向いて詩織の不安を取り除くようにそう語る。
『まあ錬金術士にとって初歩の一つである、「ツヴェト・ザカータ」を失敗するようでは
話にならんがな』
「ツヴェト・ザカータ?」
『ああ、普通は錬金術の調合用の物質で非常に簡易な物だ。唯が何を思ってこれを使おうと
思ったのかは私には分からないがな』
 セツがそう言い終わる内に「出来た!」と言う唯の声が聞こえた。
「詩織ちゃん、もうちょっと離れてくれる?」
「え。ああ、はい」    
  詩織は言われたとおりにそこから少しばかり後ずさる。それを確認すると唯はポケットから
マッチの小箱を取り出すと中からマッチを取りだしマッチ棒を擦った。
一回でマッチから火が出る。
「マッチに火がつく時の匂いって僕結構好きなんだよね」
 そう言って唯は火のついたマッチ棒を筒の中にぽいっと入れるとすぐに詩織の方へと駆け寄る。
「上を見てて」
 唯が空を指さすので詩織はそれに習って上を眺める。空は青と赤が入り交じった色彩をしている。
夜がもうすぐ近いのだ。
 しばらくすると何かが破裂するような音が聞こえ何かが空へと飛んでいくのが見えた。
それが先ほどの唯が作業をしていたものだと言うことは創造に難しくない。詩織はそれを
目で追ったがそれは空中に上がるとすぐに自分たちの上で破裂してしまった。
「え?」
 この後すぐに何かが起こるのかと思っていた詩織は拍子抜けしてしまう。
もしかしたら失敗した物かと思って唯を見てみたが唯はまだ上を向いている。
奇妙に思ったが詩織も再びそれに習って上を見上げた。
「もう少しだけ上を見てて。すぐにすごいことになるから」
 詩織に説明しながら唯はまだ空を眺めている。
 訳も分からずそれに従う詩織。
「そう言えばね。詩織ちゃん……」
 唯は上に目を向けながら詩織に話しかける。
「僕も少しだけ詩織ちゃんと同じ事を思ったこともあったんだ」
「え?」
「随分昔だけどね」
 それ以上唯は何も言わなかった。だから詩織も何も言い返さない。
 しばらくそうしているとふとおかしな事が起きてきた。
「そろそろだね」
 唯が言うとその異変はいきなり増殖していく。
「これは……」
 空中を見渡す詩織。
 だがその異変は確かに事実だった。

 それは彼女が見た中でも一番に美しいと言える「朱」だった。

 空が朱い。今まで二色で構成されていた空が一面「朱」に染められている。あまりにも
圧倒的な朱に彼女の目は釘付けにされて息をするのも忘れていた。

 ただ一色。だがそれ故に何の飾りもなくただ心を奪われる。なぜだか分からないけど急に
涙が出た。

「ツヴェト・ザカータ。どこかの国の言葉で『夕陽の朱』って言うんだって」
 彼女と同じように空を見上げている唯はそう説明する。
「生きていくって事には理由がないと辛いよね。でも理由を見つけるのは大変。でもさ、
理由なんて案外簡単に探せる物なんだよ」
 唯の言葉が今はすごく心にしみることを詩織は自覚していた。
だがそれでも空の「朱」から目を離すことが出来ない。
「例えばこんな綺麗なものをもっと見たいとかそれを創ってみたいとか。
こじつけかもしれないけどみんなそんなものだから、だから生きてみても良いんじゃないかな?」
 唯は笑っていた。見なくても詩織にはそれが分かった。涙も拭かずただただ「朱」に
目を奪われながらも詩織は頷いた。今はそれしかできなかった。

「これ、プレゼント」
 そう言って唯が詩織に預けたのは先ほど筒に入れたゴルフボールくらいの赤い玉だった。
「これは?」
「これが『ツヴェト・ザカータ』。もしまた生きる意味がなくなっちゃったらこれを使うと
良いよ」
 「もう大丈夫だと思うけど」と付け加えて先ほどの筒も詩織に手渡しておく。
「それじゃあ、僕は行くから」
「……はい」
 詩織は引き留めず素直に頷いた。
「また会えますよね?」
 そう、詩織は聞いた。
「そうだね。また会いに来るよ。今度は屋上以外で」
 二人は笑う。詩織は笑みを浮かべて手を振った。
「今度は私から会いに行きます」
「うん。その方が良いよ」
 唯も手を振り屋上を後にする。それを見送り詩織は空を見上げた。もう空は暗く赤色はない。
だが詩織の心は晴れやかだった。
「生きる意味か…………」
 自分は見つけたのだろうか?
 そんなことは分からない
 だけど分かったことが一つだけある。
「まだ時間はあるんだよね」
 そう呟いて詩織も屋上を後にした。もうここからフェンスを越して校庭は見ないだろう。
そう言う確信があった。
 
『人間とは不思議だな』
「そう?」
 とぼとぼと歩く唯にセツは話しかける。
『ああ。あんな事で自殺を止めるなら最初からしなければいいものを』 
 真顔で言うセツに(真顔も何もないのだが)唯は苦笑する。
「そうだね。でもね寄り道が出来るのは人間だけなんだよ」
『無駄が出来るの間違いだろ』
「それを言ったら身も蓋もないよ。ただ寄り道して強くなれるのも人間だけなんだよ」
『私には分からないな』
 溜息をつくセツ。それに再び苦笑して空を見上げる唯。
「今度はどこに行こうか?」
『自殺者が目の前にいないところなら私はどこでも良い』
 皮肉気にそう呟くセツ。「そうだね」と呟く唯。

 雲一つ無い空に星が輝き月は何も語らず世界を照らしていた

第一話、終わり

ツヴェト・ザカータについて


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