風水大陸


 サンドライト歴十年。先の「大戦」からすでに十年の歳月が流れた。未だに大戦の傷は癒えることはないが、
しかしそれでも人が生きている限り、傷は必ず癒えるものである。中央から順にではあるが、確実に大陸の傷は癒されてきている。

 そんな中、大戦中で活躍した大英雄、ベルマークの逝去が王都に報ぜられた。誰もがその死を悲しみ嘆いたが、
同時にベルマークは新たな希望を王都にもたらした。己の全ての技を継いだ存在を王都に送ったのだ。
王都は最初、その若すぎる存在に疑問を抱いたが、その技を見た後にその疑問を口にするものはいなかった。
王都は快くその存在を『五色の大賢者』に任命した。しかし、ベルマークが希代の破天荒な男であり、
その上いたずら好きであることを王都は忘れていた。


 この存在が「存在達」であることに気づくのはそれから数週間経った後だったのだ………………

 
 サンドライト歴十年
 風水都市「サザン」


 サザンという名を聞いてこのマナジュエル大陸の人々が最初に浮かべるのが「風水」だろう。
風水とはこの世界を五つの要素、つまり、木、火、土、金、水の五つに分け、
この五つのバランスを変えることで住みよい環境や豊かな土壌にする技術のことだ。
サザンはこの風水を扱う人々、風水師が最も多くいる街であり、風水のメッカとされている。
風水師、そして陰陽師もがこの街で一攫千金を目指し、さらに高みを目指し日々切磋琢磨する。

 それがここ、サザンなのだ。


  サザンの中央通りのはずれ。正確に記すならば、中央通りの中腹から左に入り、
しばらく歩いた先に「黄金の林檎亭」という酒場がある。多くの風水師や陰陽師がここに通い、この店の店主ミントに認めてもらい、
仕事を斡旋してもらうのが目的だ。ただしミントは生半可な腕では認めてはくれない。
まだ二十代後半と言える年齢でありながら、数十年にも及ぶ修行の果てにやってきた風水師や陰陽師にも引けを取らぬ眼光を持ち、
人の目利きに関しては彼女より右に出るものはいないとまで評されているほどだ。

 そして、意外に知られていないことなのだが、この林檎亭には一階と二階があり、
二階には東方の漢字と呼ばれる独特な文字で「鈴風堂」と書かれた立て看板が掲げられている。
林檎亭とは別にここは一つの店として機能しているのだ。ただしこちらは林檎亭の繁盛ぶりとは真逆で年中暇の開店休業状態だが。
 鈴風堂の玄関を開けるとそこには三叉の扉がある。右に行けば洗面所、左に行けば台所があり、
そして中央には一番大きな部屋の応接室があった。


 そして、応接室には……………二つの死体があった。

「…………………………」

「…………………………」

 応接室の中央には硝子張りのテーブルが置いてあり、
それを挟んでソファーが置かれている。そのソファーに全く同じ形、うつぶせの状態で寝ころんでいる二つの死体。

『………………ん〜』

 と、そこでうねり声が上がった。どうやら死体ではないらしい。

「………………」

「………………」

 死体もどきはゆっくりと動き、起きあがる。そして二人は互いを見つめ合った。
 それはまるでテーブルに大きな鏡があるのかと思わせる光景だった。
二人の容姿はまったく同じなのだ。似ているなどという陳腐な表現ではない。
二人は全く同じだった。長く美しい黒髪もほっそりとしてシャープな顔立ちも深緑の瞳の色も
そして顔のほくろ一つとってみても寸分違わぬ形をしている。

 この二人こそこの「鈴風堂」の二人の主人、双子のスズとリンだった。

「…………ねえ、リン」

「…………なに、スズ」

「どんなに動かなくてもお腹ってすくんだね」

  至極当たり前のことを呟いた。

「生きてれば当然だよね」

 二人はそう言って溜息をついた。ちなみに彼女たちの今日の朝食はパンの耳と雑草を使ったお茶だったりする。

『はぁ〜』

 まるで申し合わせたかのように同じタイミングで溜息をつく二人。

「私一つ悟ったんだけどさ、スズ」

「どんな悟り?」

「お金ってのはきっと仲間のいるところに集まって少ないところには集まらないのよ」

「あ〜なるほど」

 そう言ってスズは頷く。

「お金って寂しがり屋なんだね」

「そうそう」

『はぁ〜』

 そしてもう一度溜息。「鈴風堂」はいつものように開店休業であり、双子の二人は常に空腹との戦いに惨敗していた。

  「鈴風堂」は大賢者ベルマークが創設した店だ。しかしその店を知る人間は本当にごくわずかで、
彼が生きていた時も「鈴風堂」は常に暇の状態だったのだ。もちろんそれには理由があるのだが、
それは今回の物語で分かることだろう。

「ん? リン。誰か来たみたい」

「へ?」

 リンはスズの言葉に促され、玄関の方を見た。しかし人の姿はない。

「結界に引っかかったのよ。今階段に足をかけたところ」

「あ、風水か。それじゃあ、私は分からないね」

 リンはそう言いながら、玄関の方に向かった。

「誰だか分かる?」

「ん〜女の人。でもミントさんじゃないなぁ。よく聞く足音なんだけど…………まあ、私はお茶の用意しとくね」

「了〜解〜」 

 カランカラン

 そうこうしていると玄関の前の鈴が鳴った。

「はーい、今開けまーす」

 リンは急いで玄関の鍵を開けて扉を開ける。

「こんにちは」

 そこには双子のよく知る人物が立っていた。
 双子よりも身長は低く、童顔で年齢も実年齢より五歳、時に十歳若く見られる女性。

「あ、ナツメさん」

「お久しぶり」

 陰陽師のナツメが玄関の前に立っていた。
 
 風水と並び、陰陽術というものがある。陰陽術とはその土地の力を利用して力を発揮する術のことだ。
風水と陰陽は表裏一体。土地の力が無くては使えない陰陽術と即効性と莫大な力を発揮することが出来ない風水。
この二つが折り重なることで二つは互いに強くなるのである。   

「ご無沙汰してますナツメさん。最近お見かけしませんでしたけど」

「ええ、仕事でね。えーとあなたは……」

「リンです。スズに用事ですか?」

「まあどちらにも何だけどね。でもあなた達、本当に見分けがつかないわね」

 メガネの位置を直しリンを見直すナツメ。しかしリンとスズを見分けることなどできようはずもない。
一卵性双生児の上、二人は常に一緒で記憶は全て共通だ。彼女たちを見分けるのはその名とその技のみでしかない。

「よく言われます。たまに自分たちでも分からなくなるときがありますけど」

 そう言ってリンは笑う。つられてナツメも笑った。

「相変わらず貧乏を?」

「はい。閑古鳥ばっかり鳴ってます」


 もう少しくらい真剣になるべき話しなのだが、リンは何故か楽しそうだ。

「スズ〜。ナツメさんだった〜」

『入ってもらって〜』  

 応接室から声が返ってきた。

「それじゃあ、どうぞお入りください」

 リンはそう告げて、先ほどの空腹感など忘れたかのように笑った。



「…………ん?」

 応接間に入ると、ナツメの鼻腔をくすぐる香りが漂っていた。
清楚でいて涼やかなまるで広い草原にいるような爽快感をもたらす香り。

「いらっしゃいませ。ナツメさん」

 部屋の中央にはポットを持ったスズがいる。

「お久しぶり。この香りは?」

「ハーブティーです。最近スズがはまってて雑草を品種改良してオリジナルのハーブティーを作ってるんですよ」

 答えたのは後からやってきたリンだった。

「へぇ〜。おもしろそうな趣味ね。風水師の練習にもなりそうだし」

 そう言いながらナツメはいつもの席、入口から右側のソファーの端に座る。


「おもしろいですよ〜。ハーブの制作や茶葉の比率を変えたりとか」
 嬉しそうに語りながらスズはナツメの前にハーブティの入ったカップを置く。
緑色をしているそのお茶からは何とも心地よい香りが漂ってくる。

「美味しそうね」

「最初は香りを楽しんでください。はい、リン」

「ありがと。ん〜良い香り〜」

 リンは思いっきり鼻から香りを吸い込み、早速楽しんでいる。

「さて、ナツメさん。今日は一体どうしたんですか?」

「いきなり本題ね」
 
  苦笑するナツメ。

「うちは逼迫してますから〜」

 と、香りに緩みきった表情でそう言うリン。まったく逼迫しているような焦りは見られない。

「まあ、そうよ。今日は依頼できたの」

 ナツメは双子の数少ない顧客の一人だ。普段ナツメは陰陽師として仕事をしているのだが、
そのとき発生した予想以上のトラブルやイレギュラーに対する対抗措置(カウンター)として双子を利用している。
もちろん彼女が対処できないほどのものなのでその報酬は本来彼女が受けるはずだった報酬プラス、
彼女からの割り増しによって出されるのでかなり高額だ。その額はここ最近の双子の生活なら、一年は丸々持つほどの金額となる。

「どんな依頼です?」

「実は私、最近までブロンという村にいたの」

「ブロン?」

 首をかしげるリンはスズに顔を向ける。

「私も分からないわよ」

「それもそうか」

 風水と陰陽術以外に二人の知識に違いはない。

「ここから東に馬で三日くらいの村よ。その村が今度農業を始めたんだけど、どんな植物もうまく育たないので私の所に依頼が来たの」

「ああ、ナツメさんは『木気』ですからね」

「ええ。それで私とナヅナでその村に行ったんだけど、どうも私たちじゃ対応できないものだったのよ」

「どうしてですか? ナツメさんは土壌開発のスペシャリストじゃないですか」

「そうですよ。ナツメさんがダメなら私たちなんて…………」

「まあ、とにかくこれを見てみて」

 ナツメは懐から小瓶を取り出した。透明な小瓶の中には半分ほど土が入れられている。

「ブロンの土よ」

「ふむ〜。ねえリン。私の部屋からあれ持ってきてくれる?」

「ん、了解」

 リンは立ち上がり後ろの部屋に向かう。

「お借りしますね」

 スズはナツメから小瓶を受け取り蓋を開ける。

「くんくん」

 匂いを嗅いで小瓶を色々な角度から見てみるスズ。

「…………そんなので分かるの?」

 お茶をすすりつつ半眼で見つめるナツメにスズは苦笑する。

「いえ、それっぽく見せようかなって」

 スズは笑って小瓶をテーブルに置いた。

「スズ〜。持ってきたよ〜」

 部屋から戻ってきたリンは手になにやら木の箱を持っていた。それほど大きくないそれは箱だけを見ると非常に年季の入ったもので、
ほころびや傷もある。

「ありがと」

 リンから箱を受け取るとスズは早速箱を開ける。箱の中には同じ大きさの宝石が箱の中ぎっしりと詰められていた。
スズは箱の蓋の裏に添えつけてある紙を一枚取り出し、自身が持っていたペンを取り出し、その紙に何かを描き始める。
中心に大きな円を描き、その周りに文字や中心の円の半分以下の円を描いたり、淀みなく、
時間にすれば三十秒程度で紙にびっしりと複雑な模様が描き出された。

「簡易針盤ね。参考書も無しに描けるのね」

「先生はもっと綺麗に描けますよ」

 そう言いつつ、スズは小瓶を手に取り、土を紙の中心の円に載せる。その作業が終わると次は箱から宝石を五つ取り出して、
中心を取り囲む円にそれぞれ一個づつ乗せた。

「よし、完成」

 スズは直ぐに紙を小さく叩いた。するとゆっくりとだが、周りを囲んでいた宝石が淡く光り始める。
その輝きは次第に大きくなり、やがて五つそれぞれが違った色を放ち始める。四つまでは光の強さが変わりないが、
一つだけ、白い光を放つ石だけが他の四つ以上に強く光っていた。

「なるほど…………」

 紙を叩く。今度はゆっくりと宝石は輝きを失い元に戻っていく。

「よりにもよって『金気』の強い土ですか」

「そうなのよ」
 
 ナツメは溜息をつく。

「あ〜『金剋木』」

 リンは納得したように呟いた。


 風水の五つの属性にはそれぞれ優劣関係がある。
つまり木は土に、土は水に、水は火に、火は金に、そして金は木に優勢に働きかけ、
この五つの拮抗によりバランスが取られているのだ。


「木の天敵である金が強い土地じゃそりゃ育ちませんね」

 リンはスズの隣に座ってお茶をすする。ちなみにこれで二杯目だ。

「そうなのよ。私は木気だから金気との相性が最悪。だからお手上げというわけ」

「ふ〜む」

 肩をすくめるナツメに対してスズは腕組みして考える。

「じゃあ、金気を土気にするように風水で土地を変えちゃえば?」

「駄〜目。これだけ金気を含んだ土地を改良するには莫大な金額と年月が必要よ。
風水は陰陽術みたいに即座に効果を発揮するものじゃないんだから」

「あ〜そっか〜」  

 上の空のように相づちを打ちつつ、リンはポットからお湯を急須に注ぎ、しばらく待ってから今度はカップへとお茶を注いだ。

「そういうこと。あなた達なら何か良いアイディアが出てくるかと思って来たんだけど」

「う〜ん、これはな〜。ちなみに土地の大きさは?」

「約十町よ」

 大体一平方キロメートルだ。

「そのくらいの土地なら、いっそのこと王都に報告して、土地改良の風水隊を呼んだ方が早そうですよ」

「それがうまくいかないのよ。あなた達も王都が風水による土地改良を順次続けているのは知ってるでしょ?」

「一応」

「なんとか」

 何とも頼りない答えだがナツメは続ける。

「すでに十年ほどの計画が立てられて一般に公開されているんだけど、ブロンはその十年計画には外されてしまったの」

「何でですか?」

「ブロンが元々は工場を中心とした村だったからよ」

「つまり?」

「王都としてはまずは元々農作に力を入れていた場所を直していきたいのよ。
そうなるとやはりブロンみたいな村は後回しになってしまうの」

『なるほど〜』

 同時に声を出し、お茶をすすり、

『困りましたね〜』

 緊張感のない声を発した。

「土地の改良はとりあえず無理ですね」

「あなた達でもやはり駄目?」

「私たちでも万能ではないんですよ」

「…………そうよね」

「あ、でもちょっと待ってください」

「ん?」

「どうしたの。リン」

「じゃあ、土地が駄目なら作物を変えれば良いんじゃないですか?」

「でも、作物は元々全て木気よ。変えるって言っても…………」

「いえ、そうじゃなくて。このハーブみたいに」

「ハーブ?」

「ああ!!」

 スズは立ち上がる。

「なるほど。それは良い考えだよリン。なるほど、そっかー」

「どういうこと?」

「つまり、作物を品種改良して火気を多く含んで成長力の高い作物を作り出せば良いんですよ」

「そんなことできるの?」

「はい。繁殖力の増強ならこのハーブで実験済みです。そっか。まさに逆の発想。偉いよリン」

「ふふ、それほどでも」

 まんざらでもないリンはそう言って笑う。

「よし。じゃあ早速取りかかろう」

「えっと、じゃあこの依頼は……」

「受けます。受けます。えーと図鑑ってどこに置いたっけ?」

「寝室じゃないかな?」

「あ、そうだ」

 スズは手を叩いて応接室から出て行く。

「報酬の方だけど…………」

「あ、適当で良いです。スズ〜。やっぱり本格的な品種改良は研究室に行った方がいいよね」

『う〜ん。連絡しておいて〜』


「は〜い」

 方針が決まると急にあわただしくなる二人。

「…………」

 ナツメは動き回る二人を見つめながらお茶をすすった。

 双子の仕事に対する姿勢は見事なものだ。ただ度が過ぎる部分が多々ある。
彼女たちは仕事が出来ればむしろ報酬などいらない節があるのだ。しかも仕事に一切の妥協を許さない。
ミントに言わせれば彼女たちはたった一つの小石を拾う仕事に百人分の力を使うのだ。
そのためミントが双子に仕事を依頼する場合はことのほか慎重になる。彼女たちは自分たちの実力を常に過小評価しすぎなのだ。


「頼んでおいて何だけど…………」


「研究室の方には連絡しておいたよー」

「ローズさん嫌そうな顔するだろうなぁ」

「ああ、想像できる」

「よし、それじゃいこっか」

  
「大丈夫かしら?」


 困ったことに、ナツメの嫌な予感は当たってしまうのだが、これはしばらく後の話しになる。


 サザン国立研究所。

  マナジュエル大陸の中でも一、二を争うであろう巨大研究施設。
サザンの西の一角をほとんど占めているのがこの施設だ。中で研究するものは全員が国家試験を合格したエリート中のエリート。
国家が認定する風水師、陰陽術師が在籍し、中で様々な研究を続けている。他にも雑務や日常に必要な役を担った人間ですら、
王都での一週間近い身体検査や思想検査を経て、この研究施設に入る事を許される。


「いつ見てもでっかいなぁ〜」

「そうだねぇ〜」

 そんな国家反逆思想家(テロリスト)の様な人間がいたら即座に職務質問されるような場所の前で
双子は感慨深げに研究所を見上げていた。

「さて、それじゃあ行こっか」

「うん」

 二人は早速当たり前のように研究所に向かうために階段に足をかけた。

「おい! そこの二人!」

 当然、怪しさをそこはかとなく醸し出している二人は門番の兵士に呼び止められる。

「あ、もしかして私たちですか?」

「周りに私たちしかいないけどね」

 そう言いながら二人は素直に階段の一段目で止まった。

「何だ、お前らは? ここがどう言った場所か分かっているのか?」

 兵士はぶつくさ言いながらゆっくりと降りてくる。普通なら挙動不審になっても良いところなのだが、
双子に至っては両者共に「あの鎧ってどのくらい重いんだろうねぇ?」などと言い合っているほど気楽だ。

「さっさと帰れ。ここはお前達が来るような場所じゃないぞ」

「あの〜。ローズさんから連絡来てませんか?」

「隊長? 何でお前達が隊長のことを…………」

 兵士の警戒心が高まるのがはっきりと分かる。一般の人間がこの研究所警備担当の隊長の名を知っているはずがない。

「今の失言?」

「まあ、間違いなく」

「お前達。一体何者だ?」

 持っていた槍の穂先が双子に向く。

「え〜何者と言われましても…………」

「ま〜怪しいものじゃないですよ」

「スズ。何だか聞いてて信憑性がないことを感じたよ」

「あ、リンもそう思う?」

 槍がこちらに向けられているというのに双子の態度はまるで変わらない。兵士の警戒がより高まる。
今にも槍を振り回さんほどだ。

「う〜ん、怪しいものじゃないって証拠かぁ」

「身分書置いて来ちゃったしねぇ。考えてみればそっちの方が重要なのに私なんて風水携帯パックだけもってきちゃったよ」

「私も。まあ私は符と盤だけど」

「おい! 質問に答えろ!」

 兵士の忍耐も限界に達した。腕に力が入る。

「………………」

「………………」

 双子はようやく黙った。ただし、兵士の顔は見ておらず、その上研究所の入り口を見ている。

「何をやっている!!」

 突然の怒声。思わず兵士はそちらを振り返った。

 そこにいたのはまさに戦乙女と評するにぴったりと女性が毅然と立っていた。体を鎧で着飾り、
金色の長い髪は動かぬようにリボンでぐるぐると巻き付けられている。顔立ちは眉目秀麗にして清楚。
顔の一部がそれぞれそこにあるべくしてその形であるといった感じであり、その怒りの表情ですら一枚の絵になっていた。

「ローズ隊長…………」

 兵士は思わず溜息のように彼女の名を漏らす。

 彼女こそこの研究所警備担当の隊長ローズ女史であった。

  ローズは階段を下りてくる。距離があると気づかなかったが、彼女が近づくにつれ重苦しいオーラが彼女の周りを覆っていることに気づく。
それは彼女独特のオーラであり、怒りの表情を浮かべている彼女からは特に強く発せられるものだ。

「私は何をしていると聞いている!」

 怒号は兵士の鎧をいとも簡単に貫き、兵士を硬直させるに十分な威力だった。

「は! 怪しい人物がいたので職務質問をする所でした!」

 直立で立ち、現状を報告する。ローズは兵士の奥の双子を一瞥する。その視線一つで人を萎縮させるには十分なのだが、
双子に至っては
「ローズさ〜ん」

「いや〜やっぱり綺麗ですねぇ」

 なじみの顔を見つけてへらへらと笑っていた。

「………………」 

 ローズはこの二人を見て表情を崩す。諦めに似た溜息をついて兵士に向き直した。

「こいつ等は怪しいものではない。お前は確か今期でここに配属になったばかりだったな?」

「は!」


「ならば覚えておけ。この双子は特例で研究所の出入りは自由になっている」

「は? し……しかし!」

 兵士は動揺する。この年端もいかぬ少女が研究所に入ること自体が異例中の異例だ。

「良いから言うとおりにしろ! それと質問は班長に言え。それとこの双子のこともな」「は!」

 何が何だか分からないが兵士は従う以外にない。敬礼をして兵士は持ち場に戻った。それを確認してローズは再び溜息をつく。

「助かりました。ローズさん」

「さすが、隊長」

「お前達。ここに来るならせめて三日前に連絡しろと言っただろ。これがいかに異例だということを分かっているのか?」

「分かってますよ。ですからローズさんに頼んだんじゃないですか」

「先生も言ってましたよ。『とりあえず困ったらローズに聞け』って」

「全く。あの師にしてこの弟子か…………。 ほら、ついてこい。どうせお前達は自分たちの研究室も忘れているんだろ?」

『はい!』

 朗らかに笑いながら双子は同時に頷いた。


 ここで少し、時間を進める。


  仕事の終わり。今日の門番担当の兵士は詰め所に戻ってきた。

「班長」

 兵士は机の上で書類を書いている班長の横に立つ。

「何だ? ついに俺の娘と見合いすることに同意するのか?」

「いえ、それは一生あり得ません。それより今日、信じられないことがありまして」

「どんなことだ?」

 書類から目を離し、班長は兵士に目を向けた。

「はい。実は今日仕事中に二人の娘が現れまして。どうも奇妙だったので職務質問しようと思ったのですが、
そこでローズ隊長が現れ二人に関しては特例で研究所の出入れが自由だと…………」

  そこまで話して兵士は班長の顔色が変わっていることに気づいた。

「おい…………その二人の娘って同じ顔した奴か?」

「あ、はい。双子だと言っていました」

「…………なんてこった………………」

 班長の顔が苦悶に歪んでいる。いつも動揺など見せない班長がこれほどの表情を浮かべるとは兵士には想像も出来ない。

「班長。あの二人は一体?」

「ん、ああ。あの二人はな『土の大賢者』さ」

「は?」

 班長の言葉を聞き、直ぐにそれと双子が繋がらず兵士は怪訝な顔つきになる。
しかし、事実に気づき兵士の顔もみるみる変わっていった。

「土の大賢者…………大戦の大英雄! そんな、あの二人はまだ十五かそこらですよ!」

「まあそうだ。順を追って話そう。大賢者ってのは先の大戦で活躍した五人に与えられた称号ってのはおまえも知ってるな?」

「そりゃ。この大陸にいて知らない奴なんていませんよ。軍事的に非常に有効であった風水、陰陽術をより高度な次元で使用し
大戦中あらゆる苦境を打ち破ってきた五人の大賢者。子供のおとぎ話にだってその話しは持ちきりです」

「まあな。で、その大賢者の一人、土の大賢者のベルマークって人がこの前死んだことを覚えているか?」

「あ、そういえば…………」

 兵士も思い返す。数年前に確かそのような事件があった。

「このベルマークって人は自分の死期を分かってたんだろうな。
死ぬわずか一ヶ月前に自分の後継者に大賢者の称号を譲渡したいと言ってきたんだ。王都は驚いたが、
まあ大賢者の穴を開けたくはないってんで実力に見合えば許すと言ってきた。で王都にやってきたのは年端もいかぬ少女だ」

「ああ」

 そこでようやく繋がるのかと兵士は思った。

「最初は全員疑ったが、実力は確かに師であるベルマークに勝るとも劣らない能力を持っている。ならばとその少女、名前を…………」

 班長は先ほど書いていた書類の一番下に文字を書き込む。

「こう書く」

 兵士に見せる。そこには「鈴」という文字が書き込まれていた。

「? なんと読むんですか?」

「これは東方の『漢字』という文字なんだそうだ。で、意味はベルって意味だな」

「なるほど。じゃあ、あの双子のどちらかが大賢者だと」

 年齢的に問題はあるが、実力はたしかなのだろう。兵士はそういうところでは聞き分けが良い。
王都側がこれなら大丈夫だと太鼓判を押した人物なのだ。さぞすさまじい能力をもっていることだろう。

「いや」

 しかし班長は首を横に振った。

「は? でも、隊長は大賢者は彼女だと」

「言ったぞ。俺は」

「?」

 兵士の顔が歪む。まるでわからない。大賢者だというのに大賢者ないとはどういうことだ。

「ちゃんと聞いたか? 俺は『二人は』と言ったんだ」

「………………は?」

 それは、おかしい。

「ちょっと待ってくださいよ! 二人はって! あの二人それぞれ大賢者なんですか!」

「ベルマークって人は本当にいたずら好きでな。なんで名前をいちいちこの文字にしたか分かるか?」

「いえ」

「ベルマークがわざわざ指名したんだよ。この名を持つものを大賢者にするってな。
で、実はこの漢字ってのは読み方がいくつもあるんだそうだ。俺も詳しくは知らんが、さっきの文字。
これはな『スズ』と『リン』という二つの読み方がある」


「でも、そんなこと」

「まあ、普通は通らない。だがベルマークは本当にしたたかだ。何しろ自分の遺言に双子を一人の大賢者にって書いてあったんだから」

「………………」

 もはや兵士に言葉はない。

「まあ、さすがに死に間際の言葉だ。尊重するしかない。てなわけで二人で一人の大賢者が誕生したわけだ。
きっとベルマークって人は天国で大笑いしていることだろうぜ」

  班長はそう言って笑った。

「しかし、あの二人が研究所にか…………」

「何か問題でも」

「ああ。あの二人が何か研究を始めるとなると間違いなく一悶着起きる。それも特大のな」

「………………えっと…………」

「人員増やさないとならんな。いや、ローズ隊長がすでに手配しているだろう。とにかく…………」

 班長は兵士の肩を叩く。

「死ぬことは許さんぞ」

「え? いや、ちょっと!? それって本気ですか!」

 
 まあ、班長の言葉は真実であることは今回の事件で兵士も理解することになる。

 
 と、ここで時間は再び戻る。 


 研究室の最奥。そこに双子の研究室があった。清潔そうな白を基調とした部屋だ。左右には棚があり、
その中には一つで普通の収入の陰陽師が一年働かなければ買えないようなものがいくつも並べられてある。
その全てが貴重品であり、最高品質の道具だ。

「おお〜相変わらず安定してますねぇ」

 風水を学んだスズは研究室を見ながら呟く。

「当たり前だ。ここをどこだと思ってる」

 どこか自慢げにローズは研究室の前に立っていた。

「ふ〜ん、五行がそれぞれ均等に配置されてるんだね」

「ああ。安定した研究が出来るように。比率を変えることも出来るからそのときは私に言え」

『は〜い』

  同時に手を挙げる。

「で、お前達は一体全体何をやる気なんだ?」

  どこか冷めた口調でローズは訪ねた。

『品種改良』

 やっぱり同時に、二人は笑った。


「……遅いわね。あの二人…………」

 『黄金の林檎亭』。そこの女主人であるミントはカウンターの奥で溜息をついた。
大陸中の風水師や陰陽師がその手腕に肖りたいと思っている彼女はその名声に比べてあまりにも若すぎる。
元々大きな目に背丈も一般の女性より低いために年齢を低く見られがちだがそれを差し引いても若いと言えるだろう。
何しろ最初に彼女に会う風水師や陰陽師は先ず彼女の若さで驚かされることから始まるのだ。

「そうですね」

 カウンターの席にはこれまた実年齢より若く見られるナツメが座っている。

「研究所に行ったきりですね」

「まあ、あの二人が一度研究所に籠もると早々出てこないからね」

 苦笑しながらナツメの前にジョッキに入った麦酒を置く。ナツメはこう見えて酒豪なのだ。
麦酒程度なら水と同様に飲み明かしてしまう。

「確かに。あの二人は飲み食いせずに研究を続けそうですね」

「実際そうなのよ。全く、困ったものだわ」

 そう言うミントの表情はどこか優しげでナツメは頭の中で「お母さん」を連想した。

「心配なんですね」

「まあね。それに…………」

 表情が一変する。苦笑に近いがそれよりも何か苦い表情だった。

「あの二人がそこまで没頭するものってはのはかなり危険だ」

「………………ああ」

  ナツメも思い至ることがあるのか、直ぐに納得する。

「やはり、あの二人に任せるのは失敗でしたか?」

「今更になってだけど私も不安になってきた。一応市役所に連絡しておいた方がいいかも」

「かもしれませんね」

 これが、大惨事の六十一時間前の会話である。ミントのこの言葉はまさに予知と言っても過言ではないものだった


 双子の凄いところは一度研究を始めると一切の欲求よりも研究が上に来る点だ。もちろんこれはそのまま欠点に繋がることになるのだが、
とにかくこの二人が研究対象を持つと食べない、眠らない、話しかけられないと三拍子が揃う。
中でも睡眠に関しては何しろ自分たちが歯止めをかけないので、研究終了後にバタリと倒れることなどざらにあることだった。  

「おい、お前達。最後に寝たのは何時だ?」

 唯一この研究所に入ってこれるローズは、目にクマを作っている二人をたしなめるように呟く。

「う〜ん、何時だったっけ? スズ?」

「もう〜、リン。そんなことも忘れたの。私たち研究所に来てから一睡もしてないよ」

「あ、そっか〜」

 笑い合う二人。

「阿呆か! お前達は!」

 一喝するローズ。

『!?』

 その怒声により思わず笑顔を忘れてローズの顔を覗く二人。

「全く、お前らは。休むときにきちんと休め! 体を壊したらどうにもならんだろ!」

『はい、分かりました』

  しゅんとうつむく二人。

「じゃあ、さっさと今日は寝ろ。来てみて倒れてたなんて洒落にならん」

「あ、でもこの塩基配合の解読を…………」

「さっさと寝ろ!!」

 ローズは声を荒げた。


 そんなこんなで二日が過ぎた。


『できた〜!』

 二人で喝采を上げる。

「やったよーリン」

「やったねースズ」

 手をたたき合う二人。

「朝っぱらから何を騒いでるんだ?」

 とにかく騒いでいる二人の間にローズが入ってきた。

「あれ、ローズさん。いつの間に?」

「お前達がなにかとんでもないことやらかしてないか気になって入口で見張ってたんだ」

「すいません。心配してもらって」

「心配などしていない。それよりも私としてはこれからの方が心配だ」

『?』

 首をかしげる二人。「やれやれ」とローズは溜息をついた。

「で、できたのか?」

『はい!』

 するとスズがごちゃごちゃになってしまった部屋の中央からシャーレを持ってくる。

「これです」

 スズがそれをそのままローズに渡した。ローズはシャーレの中を覗く。そこには指先大くらいの大きな種子が一つ置いてあった。

「普通の種に見えるな」

「まあ、そうですね」

「これが、一体どれほど凄いんだ?」

「これはですね、対金気専用に作られた種なんです。普通植物は木気で作られているのですが、
それを陰陽術で火気の強い植物にして品種改良を繰り返し品種として形にしたんです」

「…………いまいち凄さが分からないな」

「それなら実験してみましょう」

「そうしよう、そうしよう」

 双子は浮かれながら部屋を出る。

「…………なんで、あいつらはあんなに元気なんだ?」

 今度はローズが首をかしげる番だった。


  研究所でもっとも大きな部屋に三人はやってきた。

「さて、このシャーレの中にブロンの土を入れまーす」

 スズは懐からナツメから受け取ったガラス瓶を取り出し、シャーレに注ぎ込む。それを部屋の中央に置いた。

「リン、お願い」

「了解。じゃあ、これ」

  リンはスズに文字の書き込まれた符を渡す。

「はーい」

 スズとリンはさっそくその符を部屋の床にぺたぺたと貼っていく。

「何をやってるんだ?」 

 部屋の入り口でそれを見ているローズ。

「陰陽術で植物の成長を促進させるんです」

「そんなことができるのか」

「ローズさん。少しは陰陽術に関しても勉強した方が良いですよ。絶対役に立ちますから」

「あいにく私が役に立っていると思えるのはこれだけだ」

 腰の剣を叩く。

「相変わらず武闘派ですねぇ。リン。こっちは終わったよ〜」

「うん。ありがとう。こっちも終了」

 双子は符を踏まないように入口まで戻ってくる。

「さて、始めますか」

「何を?」

「ローズさん。少し静かにしててくださいね」

 スズがローズをたしなめる。

「立場が逆転しているように思えるのだが…………」

 それ以上何か言うと墓穴を掘りそうなので、ローズは止めた。

「………………」

 リンは二人より一歩前に出て、目を瞑る。そして儀式は始まった。

「木気に置いて南天に地、東天に火を置いて乾離へと結べ。
北東への進路を阻み、南西、坤を促し、黄へと導け、
地天泰、風天小蓄、火天大有、救急如律令」

 韻を踏み、大地を踏む。言葉一つが力となり、貼られた符が呼応する。符はやがて光となり、その光は小さくはあるが、
力強く光り続け、ゆっくりと中央へと進んでいく。進む光は合体を繰り返し、そして種へと到達した。

「!?」

 ダン!!        
 
 人一倍大きく地を踏んで音が部屋中に響く。


「!」

 光が強まる。目を開けていられないほどの光が部屋中にあふれ、そして、消えた。



「終わった?」

 ローズはおそるおそる当たりを見渡す。あれだけ貼られていた符は既に無く、部屋は最初に入ってきたときと変わりがない。

「うん。もう少しすれば…………」

 リンが言い終わる前にシャーレの中に変化が起きた。

「あ」

 すっと一つの芽が出たのだ。

「おお」

 感嘆の声を漏らすローズ。彼女にしてはずいぶんと珍しい驚きと喜びが混じった表情だ。

「やた」

 スズは飛び上がる。芽は順調に葉をつけて伸びていく。

「そういえば、あれは一体なんの種だったんだ?」

「それはですねぇ………………」

 ぴたりとスズが言葉を止めた。

「どうした?」

「えっと…………」

 前を呼び刺す。ローズはそれに従い前を向いた。

「………………」

 芽は順調に育っている。それも急速に、巨大に。それに見境が…………全くなかった。

「気のせいか。実に嫌な気がする」

 芽はやがて木となり、すくすくと成長する。

『とりあえず』

 三人はきびすを返した。

『逃げろ!!』


!!



 それと同時、まるで爆発するかのごとく植物が部屋を満たした。


 後に街の人々はこう語る。

「いや〜そろそろかなって思ってたけど、案の定でしたよ」

「まあ、この街の名物だよね。あれは。しかし大きかったなぁ」

「ええ、毎月避難訓練は欠かせませんから。はい、今回もミントさんの助言がありましたので死傷者はゼロに抑えることが出来ました」

「どーんって感じ。どーんって」

「あのとき何故死ななかったのか今でも不思議に思う。まあ、私の人生で唯一分かったことがあるとするなら
あの双子には決して近づくなと言うことだ。それも四方100キロは」

「でも、あれだけ大きければどのくらいのパイが出来ますかねぇ。一度調理に使ってみたいとも思いますがね」


「ぬぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 走る。走る。走る。

「おっかしいなぁ、配合は完璧だったはずなのに」

  首を振りながら、前方の巨大な茎を飛び越えるスズ。

「あれじゃない? やっぱりあの二十三番目の遺伝子配列をいじったのが問題だったのかも」

「でもなぁ。あれがないと成長過程で問題が」

「まずはこの問題をどうにかしろ!!」

 悩みながら走る双子を、怒りながら走るローズ。泣き顔と憤怒の顔を一緒にしたらたぶんこのような表情になるのだろう。

「ん〜、ローズさん。実は問題が…………」

 スズが人差し指を立てる。

「なんだ! これ以上どんな問題があるんだ!」

「えっとですねぇ」

「成長の止め方なんて最初から考えてなかったからなぁ」

「お前ら一回地獄に堕ちろ!」

 研究所が壊れる。次々と壁を飲み込み、床を穿ち、天井に草木が奔る。

「うわ〜凄いことになってきたねぇ」

「他の人たち大丈夫かなぁ。気の気配がないから大丈夫みたいだけど」

 ちなみに、このとき異変を察知した隊の班長達はローズの指揮を待たずに研究所の人間を待避させていたりする。

「くそ! お前達これで何回研究所を壊したか分かってるのか!!」

「何回でしたっけ?」

 本気で思い出せないスズ。

「えっと、二回くらい?」

「四回だ! ついでに師匠の奴を合わせれば三十八回!!」

「うわ〜師匠って酷いですねぇ」

「ペースはお前達の方が早いわ!!」

 疾る。疾る。疾る。



「もう少しで出口です!」

「それにしてもローズさん鎧を着てるのに足早いですねぇ」

「変な感心は良い! とにかくもうすぐ………………」

 ふと、壊れゆく研究所の中で影が自分の後ろを通り過ぎた。

「なんだ………………」

 上を見上げる。そこには木の緑があった。天井はとうに壊れ、空が見えるはずのそこに緑が雄々しく茂っているのだ。

「なんて…………」

 大きな木なのか。もしもここから二百メートル離れていたらその巨大さに感嘆の声を漏らしていただろう。

「ん?」

 ふと、何かがこちらに近づいてくるように見えた。なんだろうか。ローズは走りながらそれに対して目をこらす。
ゆっくりと落ちてくるそれは近づけば近づくだけ大きくなっていく。

「ちょっと…………」

 その大きさはもはや尋常ではない。下手すれば人を三人分くらい覆ってしまうほどの大きさだ。

「あれは!」

「え?」

「何ですか?」

 双子も上を見上げる。

 そこには

『あ』

 三人の声が重なった。


 万有引力の法則というものがある。
 ある偉人が見つけた法則で、簡単に言えばこの世界には重力という力があり、
それは引き合いものが落ちると地面に向かっていくと言うことだ。そしてその偉人は林檎が木から落ちることで
その法則に思い至ったという逸話がある。


 つまり


「重力って偉大だね」

「うん」

「なんでそんなに落ち着いてるんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」   

 
  巨大な林檎は三人に向かい、そして地面に着弾した。


 後日この巨大林檎の木事件、通称「ユグドラシル事件」は王立陰陽術士隊によって沈静化される。
死傷者ゼロという驚異的数字はこの街だからこそできた奇跡だと新聞は報じた。
 一方事件当事者とその隣にいた被害者も奇跡的に軽傷で済んだという記事も新聞の端の端に載っている。


 後日。


『あ〜』

 魂の抜けたような溜息をつきながら双子は定位置に寝ころんでいた。テーブルの上には山のように摘まれた林檎。

「ねえ、リン」

「何、スズ」

「やっぱりどんなに美味しくて、どんなに好意によって渡されたものでも、飽きるものは飽きるね」

「うん。そだね」

 などとお互いの顔を見ずに天井を見上げている二人。

「何、やさぐれてるの?」

 部屋にやってきた一人の女性。二人は全く同じ動作で女性に顔を向ける。

『ミントさん』

 そこにいたのはこの家の大家にして下の「黄金の林檎亭」主人のミントだった。

「まだその林檎食べ終わってないの?」

「これでも頑張った方ですよ。ね、スズ」

「うん。三食林檎づくし」

「まあ、自業自得ね。ところで王都から品種改良の依頼が来てるけど受ける?」

『………………』

 二人は顔を見合わせて、笑った。それからミントに顔を向けて

『今は品種改良が二番目に怖いです』

 そんなことを言った。 

終わり